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国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル


この絵巻物は、1900年のパリ万博で展示され、好評を博し、さらに1890年代に開発された世界初の実写映画シネマトグラフの作品として1904年のセントルイス万博でも上映されたという。絵巻物の現物は、現在、エルミタージュ美術館に保管されている。


「シベリア横断鉄道パノラマ」のチタ・ハルビン間の地方駅の開通祝いの光景

マニアックな歴史の話になってしまったが、これらの展示が伝えているのは、いまは多くの日本人が訪れている極東ロシアのウラジオストクに、19世紀末、モスクワから9000kmを超える鉄路を敷き、ロシア人が現れるようになった当時の時代背景である。

実は、同じ時期、日本のロシア駐在武官も、絵描きのパヴェル氏と同様、沿線を視察すべくこの鉄道に乗っていた。一度に多くの物流や人員を運べるシベリア横断鉄道の開通は、日露戦争開戦の時期にも影響を与えている。西方から大量の兵力が効率的に極東に送られるようになる前に日本は戦争を始めておきたかったからだ。

その後、20世紀を通じて、多くの日本人が最短ルートとしてシベリア横断鉄道でヨーロッパに向かうことになった。広大だが寒冷ゆえに住人も少なく、開発が遅れていた満洲に鉄路が敷かれたことで、中国の近代化にも、結果的に貢献した。21世紀の今日、東清鉄道が敷設された中国国内の路線の大半は、すでに高速鉄道化が実現され、人々の移動は驚くほど短縮されている。

サンクトペテルブルクで見たラストエンペラーの客車は、20世紀初頭のシベリア横断鉄道の開通で、北東アジアに新たな民族国家としてのロシアの存在が顕在化したこと、それが近代以降の日本に大きな緊張を与え、向き合うこととなった100年の歴史をあらためて教えてくれたのである。

連載:ボーダーツーリストが見た「北東アジアのリアル」
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文・写真=中村正人

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