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展示の説明によると、この客車は、1902年にロシアで製造されたインテリアやデザインの異なる4台の同型車両のひとつで、最初は日露戦争時にロシア軍の提督が乗車するために使われている。厚さ5mmの金属板で車両の壁面や窓から床まで覆われた鋼鉄製の装甲車でもあった。

もっとも、大広間や会議室、キッチン、食堂、使用人のスペースまである豪華車両で、設計したのは、19世紀のフランス人鉄道技師ポロンソーという、ナポレオン3世の専用車を担当した人物だったという。かなり由緒のある客車なのである。

その客車が、日本との縁が生まれるのは、満洲事変後、1935年にソ連が東清鉄道を満洲国に売却したことで、「ラストエンペラー」溥儀の御用列車になったからだという。


東清鉄道のラストエンペラー御用達の豪華客車

しかし、その10年後に満洲国は崩壊し、国民党と共産党の内戦時にその客車はソ連に持ち去られてしまう。以降、スターリンが乗ったかどうかは定かではないが、ソ連共産党の高級幹部用客車として使われたようだ。その後、何度も改装されたが、現役を退いてしばらくした後の2007年、現在の姿になった。

展示されている現在の客車は、すっかりお色直しされているが、車両の脇のデジタル解説に、退役直後のおんぼろな状態の外観の写真が載っている。内部の写真はロシアのニュースサイトで一部公開されている。


修復される前の相当くたびれた客車の写真

長さ950mシベリア鉄道の絵巻物

さらにもうひとつ、興味深い展示がある。それは「シベリア横断鉄道パノラマ」と呼ばれるデジタル展示で、まさに建設途上にあった1897年、この横断鉄道の沿線を訪ねたパヴェル・ピャセツキーという人物が、車窓からの眺めを描いた数多くの水彩画をつないだ、長さ950mもある絵巻物だ。

すべてを見ようとしたら1時間あっても足りないので、中国と国境を接する東シベリアのザバイカリエ地方の州都チタから中国黒龍江省のハルビンまでのルートと、ハバロフスクからウラジオストクに至るウスリー鉄道の部分だけ見た。

面白いのは、当時、清国の最北端にあたったモンゴル平原の長閑な風景や、モンゴル系住民と清国人がロシア人と一緒に鉄道の開通を祝っている光景などが描かれていることだ。今日600万人が住む大都市ハルビンも、当時は松花江沿いの小さな漁村だったこともわかる。

文・写真=中村正人

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