そんな鈴木は、大学在学中には合唱団やミュージカル劇団の音楽監督としてタクトを振るのに夢中だった。
二足どころか三足、四足のわらじを履き、自ら「気が多い」と語る鈴木は、どの活動においても、みんなをまとめる指揮者のような役割を果たしてきた。彼がいまゼミで養成するのは、「ソーシャル・オーケストレーション」つまり、社会における指揮者なのだ。
30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」のポリティクス部門アドバイザーとなった鈴木が、いま若者に伝えたいリーダーシップのあり方とは。
僕は幼少期から活発なタイプでした。生まれは兵庫県明石市。中高時代はサッカー部とバンドを掛け持ちして、文化祭や体育祭を盛り上げるのが好きなお祭り男でした。小さな頃からピアノをやっていて、オペラ歌手にも憧れましたよ。
大学時代は、サッカーをやめてミュージカル劇団の音楽監督と、東京大学の合唱団から派遣されて東京六大学合唱連盟の理事になり、音楽に打ち込みました。自分が作曲し、演出家とともにシナリオを考えた作品を駒場劇場で発表することもできました。合唱連盟では、年間4、5本の合唱祭を開催し、計2万5000人ほど動員していました。あとは遊び感覚で、テニスやスキーのサークルにも入っていました。いつもフルで活動していましたね。
大学卒業後は、通産省(現・経済産業省)で働き始めました。音楽監督をやっていたことから、入庁する時には、その年の変わり種の人としてスポーツ新聞の一面に載りました。
通産省では地方創生や伝統工芸品の振興などすべてのポストが面白く、死ぬほど仕事をしました。Jリーグ立ち上げを通産省の担当係長として携わったのは印象深いです。「幸せは東京やニューヨークから誘致するもの」といった風潮から、「自分たちの幸せは自分たちでつくる」という転換期でした。ある意味での市民革命だったと思います。