トヨタ時代に痛感した、人を動かすことの難しさ
ただし、自分1人で出せる成果には限界があります。F1で言うと、いちエンジニアの守備範囲である部品だけではレースに優勝することはできない。そこで「人を率いないとダメだ」と感じ、F1から本社に戻る際に、「Z」という量産車の製品企画というプロジェクト・マネジメントのポストに異動しました。
そこに行って身に染みたことが、「いかに人を率いることが難しいか」です。
各エンジニアは他にも何車種もの案件を抱えていて、仕事がオーバーフローしている。そんな中で、1車種の正論だけを押し付けても誰もその1車種に特別に魂を込めるようには動いてくれないわけです。
そんな状況の中、必要にかられて身に着けたのが「ストーリーの力」です。自分のプロジェクトの会社における立ち位置や存在意義から始まり、個々の仕事がどのように貢献していて、どれほど重要なのかを語る。そういったことを始めて、ようやく私のような若輩者のお願いに対しても、自ら「やるぞ!」と燃えてくれるエンジニアが出てくるようになりました。
「ストーリーの力」は、このように大企業のプロジェクトマネジメントを通して身につけたように思います。
──その後、ソフトバンクCEOの孫氏に腕を買われて、「Pepper」のプロジェクトメンバーに着任されたと。
ええ。トヨタには14年間勤めていたので、正直、そこから出るのは不合理なほど怖かったですね。
──どうしてそのような決断が出来たのでしょう?
それは孫さんのお陰です。あと、もうひとつは好奇心ですね。
日本の企業って、十数年勤めるとだいたい自分の会社での自分の未来像が見えてくるじゃないですか。「社長にはなれないだろうけど、運よく役員まで行けたらこんな仕事、部長になれたらこんな仕事、課長ならこんな感じの役割だよね」とか。どの立場・役職であっても十分に素晴らしいことなのですが、なにをやっていて、どこに悩むのか、なんとなく想像できた気になってしまう。それは幻想なのかも知れないけど、見えた気になるわけです。
「違う人生を歩んでいたらどうなるんだろう」と誰しもが一度は考えることがあると思うんですが、私の場合、考えるだけでなく、それを本当に体験してみたかった。そういった好奇心が人よりも強く、転職の恐れに打ち勝ったんだと思います。
「非常識な真実を発見すること」の成功体験を積むと、常識的な範囲で戦う辛さが分かってきます。非常識な中に真実があるんじゃないかと考えてしまう。ですから、「トヨタの人が普通は辞めないんだったら、辞めるところに成功パターンが存在するんじゃないか」と、キャリアにおいても非常識な方向に逆張りするような好奇心を持つようになったのかも知れません。
連載:起業家たちの「頭の中」
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