ビジネス

2019.08.11

「SWITCH」を創刊に導いた、あるロックスターとの出会い

スイッチ・パブリッシング 新井敏記

インタビュー誌『SWITCH』、旅する雑誌『Coyote』を創刊、編集長を務め、文芸誌『MONKEY』も発行する新井敏記に、20代の旅で出会った忘れられない人、創刊秘話、アイデアの源泉を語ってもらった。


「時代をつくる鮮やかな個人の軌跡を追いかけ、その吐息と輝きを伝える」というコンセプトのもと、30年以上にわたりインタビュー誌として多くの読者とともに歩んできた『SWITCH』 。「人、旅をする」をテーマに、星野道夫、沢木耕太郎、池澤夏樹、谷川俊太郎といった賢人たちと旅をしてきた『Coyote』。どちらも「好きな人に会いに行き、大切な話を聞き、伝える」という、シンプルなスタンスを貫いてきました。

旅も読書も写真も日常と仕事の境目がない僕にとって、趣味をしいて言うなら「雑誌づくり」です(笑)。中学生のころから詩や小説のようなものを書いてはガリ版で刷り、高校生のときは和文タイプで原稿を打って製本し、友達に配っていました。

本格的な雑誌づくりのきっかけは、26歳のときに訪れたニューヨーク。グリニッジ・ヴィレッジの老舗「Caffe Reggio」で本を読んでいたら、突然の夕立が。雨宿りの客が店に押し寄せ、僕が座る二人がけのテーブルにも「相席していいか」と男が僕の返事を待たずに座りました。ヒゲモジャの、ひどくおしゃべりな男で、「何読んでるのか?」と訊かれ、しぶしぶ相手をしていたら、別れ際に「自分が今夜出演するライブがある。よかったら」とチケットをくれたのです。特別やることがなかった僕は期待もせずにライブハウスに足を運んだのですが、ステージ上の彼はスーパースターでした。フェンダーのテレキャスをかき鳴らし、これぞロックンロール! ブルーカラーの人生や若者の切ない恋の歌を物語のように熱唱していたのです。それが無名時代のブルース・スプリングスティーンでした。

「彼にもっと話を聞けばよかった」──そんな後悔をずっと抱えていた僕は、1984年、彼がアルバム『Born in the U.S.A.』の全米ツアーを行うと聞き、NYに飛びました。4時間のライブは圧巻で、その後の1カ月はいわゆる“追っかけ”に。しかし、彼に会って話を聞くことはついぞ叶わなかったのです。だったら正面から会える“切符”をつくろう、雑誌をやろうと。それで翌年『SWITCH』を創刊しました。

それ以前、出版の世界に入るきっかけをくれたひとりに、アートディレクターの大江旅人さんがいます。大学院時代、彼のもとで1年だけ無償で働いたのですが、大江さんほど仕事も遊びも破天荒な人はいなかった。いまから蕎麦を食いに行くと言って、松本まで3時間、車を駆る。僕も丁稚扱いで、しいて教わったことといえば「窓は丸く拭くな、四角く隅まで拭け」だけ(笑)。でも本当に楽しい1年で、博士課程をやめたのは彼の影響かもしれません。

「アイデアが生まれない」とよく聞きますが、僕からすれば最短距離の効率重視がその原因のひとつではないかと。映画を見たり、本を読んだり、美術館に行ったり、旅をしたり……一見無駄だと思われることがやはり重要だと思うのです。特に年齢を経たら、集中力も体力も衰える。そんなときに助けになるのは、若いころに培った感性しかない。アスリートが1日練習しなければ、勘を取り戻すのに2日かかるというのと同じで、僕自身も“書く筋肉”を落とさないよう、毎日何かしら書き綴っています。
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構成=堀 香織 写真=yOU(河崎夕子)

この記事は 「Forbes JAPAN 社会課題に挑む50の「切り札」」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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