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それは、料理界が「感覚主義」だからなのかもしれません。料理には言語化できる部分とそうでない部分があります。例えば、「分量」は言語化できるけれど、「微妙な味覚」は難しい。同じ砂糖を舐めても、同じ甘さを感じているかどうかはわからないので、長い時間をかけてチーム内で共有しながら擦り合わせていく必要があるんです。だからこそ、「体で覚えろ」「技は盗むもの」という話になってしまう。

分量が同じなら誰もが同じ味を再現できるかというと、そんな単純なものではありませんし、人間はそれくらい教育するのに時間がかかるもの。いまの自分の店では、そういったことを論理的にチームに伝えたいと思っています。

人を感動させる「料理の発明家」でいたい

日本のレストランを経て、フランスに渡り、一つ星、二つ星レストランであわせて3年半修業。その後、帰国して2008年に自分の店「HAJIME」を持つことになりました。ミッションは「料理で感動と希望を届ける」、ビジョンは「ガストロノミーを通じて、人類の未来に貢献すること」。レストランだけでなく、食という文化を深く追求していきたいという思いがあります。

だからこそ、2012年には「フランス料理」という看板を掲げることをやめました。私がやりたいのは、自分自身の美意識を、料理を通して表現することだと思ったからです。

そのきっかけとなったのは、オープンして少し経ったころ、思うように料理が作れなくなってしまったことでした。お店はオープンしてからすぐに軌道に乗り、リピートしてくださるお客様も増えていく中で、常に新しいメニューを開発し続けた結果、アイデアの引き出しが枯渇してしまったと感じたのです。

原点に戻ろうとフランスの店で10日間研修させてもらうことにしました。が、その時に現地のシェフから「君がつくっている料理はフランス人のコピーじゃないか」と言われてしまったのです。その時は「自分が修業して学んだフランス料理をつくって何が悪い」と喧嘩して帰ってきましたが、すごくショッキングな出来事でした。



「自分の料理」「自分の美意識」とは何だろう。そう考えると、そのヒントはきっと「料理を学ぶ前」にあるだろうと直感しました。自分が何を美しいと感じたかの記憶を遡っていくと、子どものころの原風景に行き当たったんです。

京都と奈良の県境で、山や川を走り回っていた子ども時代。春になると葉っぱが生え始めて、夏になると急にその葉っぱがダーっと伸びてセミが鳴いて、カブトムシが出てくる。秋になれば紅葉。冬になると葉が落ちて雪で真っ白になる。また春が来ると一斉に緑が芽吹いて、心地良い風が吹く。鳥が鳴いて、虫が飛んで、そこに自分が立っている。

「なんて綺麗なんだろう。これこそが自分の美意識ではないのか」。そう思った瞬間に、自由になれた気がしました。この美意識を料理で表現すればいいのだと。するとまた、アイデアがどんどん湧いてきた。「〇〇料理」ではなくて、こんなものをつくりたい、というイメージが先行するような、「料理の発明家」でいたい、そう思えたんです。

私たちの世界だと、「おいしい」というのは歌手で言えば「声がいい」のと同じこと。「あー」と声を発するだけでは感動させることはできません。そこにメロディや歌詞、つまりメッセージやコンセプトが加わってはじめて、人の心を動かすことができる。歌だと耳だけですが、料理は匂いや味覚など訴えることができるものが多い。ということは、それを超えるような感動を絶対に作れるはずだ。すべての感覚を使ったエンターテインメント。それが店のテーマになりました。

文=松崎美和子 写真=小田駿一

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