経済・社会

2019.08.08 11:30

21歳で自衛隊を辞め、デジタルx政治の新世界へ|仁木崇嗣 #30UNDER30

一般社団法人ユースデモクラシー推進機構代表理事 仁木崇嗣


民間企業のことは何も分かりませんでしたが、それまで20万人規模の大きな組織である自衛隊に所属していたので、新しい環境では安定した会社だけはやめようと思い、転職サイトで見つけた小さなウェブ系の会社で働くことにしました。先輩社員の中には、前職が歌舞伎町のトップホストでグーグルの採用を蹴ってその会社に入社した人や、光回線を扱う代理店で全国1位をとった人など、一芸を持つ人が多く、社会で生きていくための術を学べそうだと思いました。
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中小企業のウェブ制作だけでなく、あらゆる困りごとを解決するための提案型営業のようなこともしていました。既存商材の販売以外にもコスト削減可能な部分があるのではないかと思い、過去3カ月分の領収書をいただき、水道料金なども含めて経費削減できるところを提案しました。

すると、自分たちでは気が付かなかった無駄を省き、効率的に商材を提供したことで大幅なコスト削減ができ、喜んでもらえたんですね。必要な時に、必要なものを必要な分だけ届けるというようなロジスティクスを最適化する仕事でした。

土日は休みでしたが、週5日24時間働くことが社是で、自主的に寝袋を持参し働いていました。私は通信制の大学で労働法を学んだことがあるのですが、ここではまったく守られていませんでした。その分、裁量権が広く、正直めちゃくちゃ楽しかったですね。はたから見ればブラック企業そのものですけど。
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3年弱働いた後独立し、「ビジネスによって、選挙のあり方を変えていきたい」と、選挙専門の制作会社を2010年に創業しました。参院選の年だったので最初から仕事はありましたが、3、4年やってみると、一業者としてではこの業界で変革を起こすことに限界を感じました。

新しい政治家のスタイルを

同時に、既存の政治はまだまだアナログな世界でしたが、社会の変化は感じていました。このアナログな政治の世界を、デジタルの力によって変えることはできないだろうか? と思ったのですが、自分自身もデジタルの知識が足りないことに気がつき、26歳の時、デジタルハリウッド大学院に通い始め、デジタル×政治・公共分野の研究をしたことが転機になりました。2年間学ぶうちに、選挙業界や政治の現場は10年20年遅れた世界だと改めて実感しました。


26歳で通い始めたデジタルハリウッド大学院時代

最初はVRやドローンなど最新の技術に目移りしましたが、最終的に私は選挙運動に含まれない政治活動の一つ、戸別訪問のあり方について研究をしました。候補者が有権者の家を直接訪れてもなかなか会って話すことはできません。そこで事前に自動電話を掛けて応答してくれた家をタブレット上にマッピングするシステムを構築しました。

そのマッピングした家に訪問することで、直接会って話してくれる確率が上がり、効率も接触効果も高まったのです。当時の選挙業界では半歩か、つま先くらいは進んだプロトタイプだったと思います。
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文=督あかり 写真=小田駿一

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