30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」のポリティクス部門アドバイザーとなった仁木が、奔走してきた10代から20代を振り返り、若い世代に伝えたいメッセージとは。
「弱い自分をなんとかしたい」
少年時代は運動が不得意で、教室の隅で絵を描いている方が好きという内気な子どもでした。自分に自信など、全くありませんでした。そんな自分に強いコンプレックスを感じていて、自信がないからこそ、早く世の中の役に立ちたかったことをよく覚えています。
「社会の役に立ちたい」「弱い自分をなんとかしたい」。今思えば、コンプレックスの裏返しで、社会や国への帰属意識が大きくなっていったのだと思います。
子どもながらにその方法を考え、叔父が自衛官だったことから自衛隊に興味を持ち、中学卒業後に15歳で入隊しました。この少年時代こそ、今の自分の原点だと思います。
陸上自衛隊入隊後は、3年間の教育期間を経て、航空学校に配属され、航空機整備士になりました。部隊勤務のような体力的な厳しさはありませんが、約20億円の機体を整備し、一切のミスが許されない職務でした。若手ながら、一つの機体の整備責任者も務めていました。
しかし当時は、有事の時しか役立つことが望まれないことにジレンマも感じました。次第に、「平時の戦場は民間にこそあるのでは?」「民間で働く方が世の中の役に立つのではないか?」という思いを抱くようになりました。
また、当時から政治や選挙に関心があり、10代後半で松下政経塾のセミナーに通うなど、外の世界の人たちとのつながりも求めていました。それまで「弱い自分を変えたい」という思いを強い原動力にしてきましたが、3年間整備士として働き、幹部候補生試験を受けて合格したことでひとつ自信をつけ、21歳の時に自衛隊をやめました。
自衛隊を退官した時の仁木