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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」


しかし、かつて、民衆の力によって政治体制の変革を実現した歴史、すなわち「民主主義革命」の経験を持つ欧米諸国と異なり、そうした経験を持たない我が国においては、いまだに「お上」と「下々」の意識が残渣として残り、目に余る国民不在の政治や行政の姿を見ても、疑問の声も湧き上がらず、改革を求める大きな動きも生まれてこない。

そして、そのことが、政治から緊張感と謙虚さを失わせ、際限なき政治家の質の低下を招いている。

しかし、こうした「お任せ民主主義」の国民意識も、ときに、「大きな変革」の動きに見える政治状況を生み出すことがある。

それが、「劇場型政治」と「観客型民主主義」と呼ばれるものである。

ある時期、「強力な変革リーダー」と見える政治家が現れたとき、メディアもこぞって「このリーダーが、この国の変革を成し遂げてくれる」との期待感を煽り、その政治家もメディアを最大限に活用し、様々な「政治ドラマ」を演出する。そして、国民も、その政治ドラマを、変革への期待を抱きながら「観客」として見守るという構図である。

しかし、我が国において何度か繰り返されてきた「政治ドラマ」、すなわち、「英雄待望論」の心理に基づいた「劇場型政治」と「観客型民主主義」が、結局、根本的な変革を成し遂げ得なかったことも、冷厳な事実であろう。

だが、その顛末の究極の原因は、期待された「政治家」の側にあるのでも、期待を煽った「メディア」の側にあるのでもない。

昔から語られる箴言、「一つの国の政治の状況は、その国の国民の意識を映し出す鏡である」との言葉通り、その究極の原因は、我々国民の意識の中にある。主体性を失った政治意識の中にある。

「自分以外の誰かが、この国を変えてくれる」という他者依存の心理。それが、我々国民の心の中にある限り、この国の「お任せ民主主義」は続き、本当の「参加型民主主義」は、決して実現されない。

そのことを考えるとき、かつて、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが、その作品『ガリレイの生涯』の中で、ガリレオ・ガリレイに語らせた言葉が、深く心に響いてくる。

英雄のいない国が、不幸なのではない。

英雄を必要とする国が、不幸なのだ。

文=田坂広志

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