新・パリのビストロ手帖


メニューには、ポロネギのヴィネグレットソースにエスカルゴ、牛フィレ肉のベアルネーズソースなど伝統料理が並ぶが、さらに2種の「日替わり料理」がこの店には存在する。

ひとつは、その日のオススメが書かれた黒板メニュー。これは仕入れとともに変わり、旬を感じる料理が登場する。7月に入って食べた、とてもシンプルな生ハム&メロンも、芳香な生ハムの塩気が果汁の甘みと爽やかさを際立たせ、季節のうちにもう一度いただきたいと思う美味しさだった。



もうひとつはレギュラー・メニューの左側に書かれた、曜日ごとに設定されている「日替わり料理」。黒板メニューはマダム・ブドンの食べたいものが列挙されるのに対し、こちらはムッシュー・ブドンの食べたい料理らしい。月曜から日曜まで、火曜と金曜以外は変動せず、その曜日の料理を目当てに来る客があとをたたない。

水曜日のコック・オ・ヴァン(雄鶏の赤ワイン煮)はほぼ半数、木曜日のブランケット・ドゥ・ヴォー(仔牛のシチュー)は60%、日曜のプーレ・ロティ(ローストチキン)にいたっては70%の注文率だという。

火曜と金曜だけは、数カ月ごとに料理が変わる。最近新たに登場した鴨肉のオレンジソースを食べてみたら、ソースに強烈な懐かしさを覚えた。母のつくる煮魚の煮汁に通じる味わいで、口の中で記憶を辿ったその味は、心の奥まで沁みた。



111年の時をつなげた1枚の写真

その鴨肉のメインを食べた日。座った席の前に、これまで目に入っていなかった写真が飾られていた。「この写真、今まで気づいてなかったのか、初めて見た気がする」とマダム・ブドンに告げると、「明子、気づいていなかったんじゃなくて新しいのよ。実はね……」といきさつを話し始めた。

写真が撮られたのは1908年。フランス人とアメリカ人が両親の彫刻家が、撮影したものだという。彼は2年間パリに滞在し、その間にたくさんの写真を撮ったその1枚。ガラス戸にはLa Fontaine de Marsの文字が見える。

祖父の撮ったこの写真を数年前に見つけ、アメリカに暮らすお孫さんが、あるとき、いまもこのレストランは存在するのだろうか、と調べたそうだ。そして、同じ名前で営業し続けていることがわかった。それで実際にご主人とパリを訪れ、店に食事に来たという。その時には店側に何もコンタクトはなく、あとから手紙と写真が送られてきた。それが2カ月前。そうして1枚の写真が、111年の時をつなげた。

連載:新・パリのビストロ手帖
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文・写真=川村明子

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