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日本経済新聞米州総局シカゴ共同支局長、ブルース歌手 野毛洋子(Yoko Noge Dean)

米国シカゴに渡って30数年、日本経済新聞米州総局シカゴ共同支局長、野毛洋子(62)のもう一つの顔は、地元に深く入り込むブルース歌手だ。2006年にはシカゴブルースフェスティバルのステージに立ち、伝説のブルース歌手でギタリストのジョン・プライマーらと共演、2008年には地元誌シカゴ・トリビューンの批評家から「ブルースのメロディとジャズのテクニック、日本のフォークという、本質的に異なるカルチャーの固有の音楽を融合させた」と高評価され、取り上げられた。

経済記者としては、先物市場などデリバティブ業界を主にカバー。ここ数年は中西部のトランプ支持者を追う。

自ら道を切り拓いた女性たち「セルフメイドウーマン」。Forbes JAPAN 7月25日発売号でも特集したこの連載企画で、今回は野毛洋子の原動力について聞いた。


──シカゴに渡ったきっかけを教えてください。

1984年、26歳の時に当時の夫(日本人)と来ました。夫はブルースのサイドギターをやり、私はボーカルをやっていました。

高校生の頃、エルモア・ジェームズのLPを聞いて鳥肌が立ち、ブルースにはまりました。それからは大阪で最も古いブルース・バー「ヴィックスバーグ」を中心としたブルースコミュニティに出入りするようになりました。大学生の時にバンド仲間とテレビのコンテストに出たら優勝し、ビクターからレコードデビューもしました。

24歳で結婚しましたが、26歳の時に、精神病を患っていた母が自殺をしました。元々ブルースの本場、アメリカに行ってみたい、という思いがありましたので、母親の死でふんぎりがつき、アメリカに来ました。最初は1年だけ、という予定でしたが、それから2年、3年と伸びていきました。

──日本人2人が、どのようにしてシカゴのブルースコミュニティに入っていったのですか?

シカゴのウエストサイドのマリーズラウンジという小さなお店に通っていた時に、世界的に有名なベーシストで歌手のウィリー・ケントに出会いました。日本でも見たことがありました。彼は自分のバンドに、夫をサイドギター、私をゲストボーカルとして迎えてくれました。そして、シカゴの色々な場所に演奏で訪れるようになりました。

とても怖い目にも遭いました。一度は演奏中に、目の前で人が銃で撃たれるのを見ました。優しかったクラブのオーナーが形相を変えてステージに向かって走ってきて、パン、パン、パン、と乾いた音がしたかと思うと、かがんで倒れたんです。彼が倒れたことによって、マスクを被った犯人と直線上で向かい合うことになり、「映画みたいだ」とぼーっとしていたら、後ろのバンドのメンバーから「伏せろ!」と大きな声が聞こえて慌ててテーブルの下に隠れました。犯人が立ち去った後、ウィリー・ケントがオーナーの傍に寄りましたが、息絶えていて、「もうダメだ」と。それから警察が来ました。

また、サウスサイド(現在もシカゴで最も治安が悪いと言われる地域)では紹介されたバンドのメンバーに誘拐されそうになったこともあります。

構成=岩坪文子 イラスト=Willa Gebbie

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