ストラスブール残留の36歳川島永嗣 複数年契約の快挙を勝ち取った「ぶれない生き様」


川島は2001シーズンに当時J2の大宮アルディージャでプロのキャリアをスタートさせ、2004シーズンに名古屋グランパス、2007シーズンには川崎フロンターレへ移籍した。Jリーグの舞台で経験を積みながら、27歳となる2010年夏のヨーロッパ挑戦へ向けて周到な準備を進めてきた。

たとえば語学。アルディージャ時代に英語とイタリア語を習得し、いまではポルトガル語、スペイン語、オランダ語に加えてフランス語も流暢に操る。ゴールキーパーは指示を介して味方と連携を図る。海外でプレーするうえで、語学の習得は必要最低限の要素でもあった。

日本代表のゴールキーパーとして歴代最多の116試合に出場した、レジェンドの川口能活もかつてはヨーロッパの厚い壁の前にはね返された。サッカー界で最高峰となる舞台で日本人ゴールキーパーがプレーする価値を、川島はこんな言葉で表現したことがある。

「ヨーロッパでは、ゴールキーパーの役割や存在感がもともと大きい。そのなかで外国人のキーパーがプレーしていくためには、ヨーロッパ人よりもいい部分やプラスアルファを出さなければいけないし、プレーの面でもメンタルの面でも日本にいたときよりも強さや厳しさを求められると思っている」

スタンダール・リエージュの3年目となった2014-15シーズンの序盤でレギュラーを剥奪され、ダンディー・ユナイテッド入りするまでに約5か月間の無所属状態も経験した。メスやストラスブールでも味わわされた苦難の時期に、川島は逃げることなく立ち向かってきた。

「自分が計画した通りにいかないのが人生であり、サッカーだと思う。自分のなかでは意味があって挑戦しているし、不遇な時期があったからこそ成長できると信じているので」

真摯な姿勢は、必ず報いられる


サッカーに対して貫いてきた真摯な姿勢は、必ず報いられる。たとえば日本代表では2017年3月、アウェイで行われた難敵UAE(アラブ首長国連邦)とのワールドカップ・アジア最終予選の大一番で、精彩を欠いていた西川周作(浦和レッズ)に代わって先発を言い渡された。

メンタルプレーヤーからの突然の昇格ながら、川島は最後尾で大きな存在感を発揮。あわや同点という大ピンチでビッグセーブを見せるなど2-0の快勝に大きく貢献して、3大会連続で挑むワールドカップとなるロシア大会での守護神拝命へ向けて雄々しく復活した。
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文=藤江直人

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