阪神淡路大震災が20歳の私を現場へと向かわせた | 藤沢烈 #30UNDER30

一般社団法人RCF代表理事 藤沢烈

2011年の東日本大震災をきっかけに東北の現場に飛び込み、復興の取り組みを行う一般社団法人RCF代表理事の藤沢烈。徹底した現場主義にこだわり、阪神淡路大震災以降さまざまな被災地に足を運び、未来を見据えた課題解決に奔走してきた。

そんな藤沢も30歳までは「驚くほど一貫性がなかった」と振り返る。学生時代のサロン経営の失敗を経て、戦略コンサルタントから社会貢献の世界に転身した理由とは。

30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」のソーシャル部門アドバイザーとなった藤沢が、自身の経験を踏まえてU30に熱いメッセージを送る。



一貫性がなかったU30時代

30歳になるまでの自分を振り返ると、驚くほど一貫性がありませんね。ぐちゃぐちゃです。当時は「先を見て進路を決める」という考えがなく、本当にいろんなことに手を出していました。唯一こだわっていた行動原則は、「今やりたいことは、今やる」でした。

一貫性がないのは、20代に始まったことではありません。10代からです。

私は小学6年生から高校2年生まで、地震や火山を研究する学者を目指していました。進路は理系に進みましたが、高校3年生で文系に転じて一橋大学社会学部に進学しました。

進路を大きく変えた理由の一つは、当時の彼女の影響です。社会人の彼女と交際するまでは、「人文や社会なんて、地球の何千何億年の積み重ねに比べたら小さなものだ」と思っていたんです。しかし、恋愛をきっかけに、人文や社会に興味を持つようになりました。

もう一つの理由は、高2から作り始めたミニコミ誌の編集です。高校の同級生には、スポーツや学問など、さまざまな分野に才能あふれるユニークな友人が数多くいました。私は彼らのことを多くの人に伝えたいと思い、自分でミニコミ誌を作り始めたんです。
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文=畠山理仁 写真=小田駿一

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