宇多田ヒカルと海外文学、「自由」と「責任」

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「宇多田ヒカルと友達になれそうな気がする」と言うと、8割くらいの人たちが「自分もそう思う」と同意する。その度に「なんて横柄なやつらだ」と笑い合うのだが、宇多田ヒカルと彼女の歌曲には、それだけの親近感がある。

同じふるさとを持つ者だけがわかるような郷愁感とか、孤独な寂しがり屋みたいな矛盾とか。そこには小さい頃に読んだ物語のような世界観があり、それは、宇多田ヒカルが愛読家であることにも起因する。

宇多田ヒカルが本好きなのはとても有名な話で、曲づくりにも文学の影響を受けているというのは本人も公言しているし、自身の歌詞を綴った書籍『宇多田ヒカルの言葉』(エムオン・エンタテインメント、2017年)でも「幼い頃小説家になることを夢見ていた」と書いている。

昨年12月には宇多田ヒカルおすすめの書籍を集めた『宇多田書店』が開催され、好評を博した。なかでも海外文学作品のラインナップは絶妙で、メジャーどころもあれば番狂わせ的な作品もあり、一筋縄ではいかない彼女の存在を体現する本棚になっていた。だから私たちのようなミーハー文系人間に勝手に友達認定されてしまうのだ!と言いたくなるような、鮮やかなくすぐり方だった。

『宇多田書店』の主だった海外作品は、以下のとおり。

ヘルマン・ヘッセ『荒野のおおかみ』
ウラジミール・ナボコフ『青白い炎』
エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人事件』
フランシス・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』
ジョージ・オーウェル『一九八四年』
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』
オスカー・ワイルド『サロメ』
ロアルド・ダール『魔女がいっぱい』
シェイクスピア『ヴェニスの商人』
アンリ・ベルクソン『時間と自由』

海外文学に詳しくなくても、タイトルに既視感のある作品もあるだろう。

例えば、2016年9月に発売された6作目のアルバム『Fantome』に収録されている『荒野の狼』という曲は、タイトルをそのまま、ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』からとっている。自己の分裂に苛まれながら死を目の前に捉えて生きる主人公の、同調と反目、矛盾が、「言葉にできない想いを 今宵は歌にして聴かせたい」という歌詞になぞられているように読める。

他にもウラジミール・ナボコフの『青白い炎』は、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、宇多田が初めて楽曲制作の過程を披露した際にも登場している。番組内で、作詞に煮詰まった宇多田は本棚から『青白い炎』の原書を取り出し、膝を抱えて椅子に座り朗読をしていた。ときに涙を流し、言葉ひとつひとつを腹落ちするまで突き詰める様子は、戦いのようであり、神聖な儀式のようでもあった。

音楽を、言葉を、バラバラに紐解いては再構築する。その作業を丁寧に繰り返しながら創り上げているのだと、彼女の鼻をすする音だけがする静かな空間を見つめながら思った。
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文=川口 あい

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