英国の学校生活での「言語の壁」 乗り越えるきっかけになった先生の言葉

パブリックスクールの学友たちと(5列目、一番左が筆者)

1962年9月12日、19歳になったばかりの私は英国の地に降り立ちました。

ところが、到着早々私は空港の税関で止められたのです。世話になる保護者とパブリックスクールの校長先生にお土産を渡したく、渡航前にSONY製のトランジスタラジオを2つ購入してきたのですが、私は外国製品の持ち込みに税金がかかることを知らなかったのです。

税関の係員に英語で事情を説明できず混乱していたところ、係員が空港まで私を迎えに来てくれた保護者を呼び、保護者が税金を肩代わりしてくれました。そして、私はそのラジオを保護者の夫婦にお土産として渡したのです。英国に到着早々保護者に迷惑をかけ、先行きが不安になる英国生活のスタートでした。

私が入学したパブリックスクールは、ロンドンから西に160キロほど離れたBathという町にあるKingswood Schoolです。英国では9月からクリスマスまでが一学期、1月から3月が二学期、4月から6月が三学期で、試験は6月末に行われます。パブリックスクールでは2年かけて大学受験のための試験を受け卒業するのが通常ですが、私は資金に限りがあるので1年で卒業する目標を立てていました。

英国のパブリックスクールでは、入学時に校長先生に自分の学問の姿勢を説明する必要があります。緊張しながら辞書を引き、校長先生に「1年で卒業して、ケンブリッジ大学を目指したい」と伝えたところ、私の無謀な発言に驚いた様子で「イギリスには大学が30校しかなく、大学進学率はわずか2%。君には一般の大学でも進学は難しいだろう」と言われました。

しかし、私は引き下がるわけにはいきません。「何とか1年で卒業して大学進学を目指したい」と伝えたところ、「君の英語力では難しいが、数学と物理に絞れば可能性はある。それでも2年はかかると思うが、やってみなさい」と納得していただき、英国での学校生活が始まりました。

当然ながら、授業は全て英語です。英語がまったくと言っていいほど理解できないことで授業についていけず、入学早々非常に高い「英語の壁」が立ちはだかりました。学校が終わった後は予習復習に加え、英語の勉強も相当の時間を割かなければ授業についていくことができません。

パブリックスクールは全寮制のため、学校が終わった後は寄宿舎で過ごします。寄宿舎では夜の9時半で消灯され就寝時間となるのですが、少しでも授業に追いつくために徹夜もいとわず勉強しなければなりません。そこで、寄宿舎の責任者に「9時半に消灯されると勉強ができません。日本には徹夜する文化があります。だから、私に夜中も勉強できるようにしてください」と説得したところ、特別に校外の下宿先を紹介してくれました。

昼は学校で授業を受け、夜は寄宿舎を出て下宿先で朝の4時頃まで勉強。3~4時間ほど寝て、明け方に寄宿舎に戻るという生活でした。

当時の私はとにかく死に物狂い、無我夢中でした。自分で決めたことですし、何よりも留学を許してくれた母と祖父への恩と、英国で学んで何かを日本に還元することを実現するまで諦めるわけにはいかないという強い意志が私を動かしていました。
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文=田崎忠良

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