このプロジェクトで中心的な役割を果たしたのが、ビームスの中村尚史さんだ。中村さんは現在、ビームスの開発事業本部 開発事業部 ユニフォーム課に所属し、企業等に向けたオリジナルのユニフォームデザインや販売に携わっている。
当初、会社から「渋谷をつなげる30人」のメンバーにアサインされたときは、「渋谷区生まれ、渋谷区育ちだからか」と考えたという中村さんだが、プログラムに参加する前は、渋谷のために具体的に何かしようと思ったことはなかったと言う。しかしその考えは、プロジェクトが進むにつれ、大きく変わっていく。
今回は、彼の視点で、一連のプロジェクトを振り返っていただいた。
──「渋谷をつなげる30人」の打診をされる前から、その存在は知っていましたか?
知らなかったです。最初は何人か候補者がいたみたいですが、上長から「中村さん興味ある?」と聞かれました。その時、ユニフォーム課に来て1年しか経っていないということもあり、「外に営業して自分で案件をとりたいな」と思っていました。そこに貢献できるかもと考え、立候補した形になります。
──初日に参加してみてどのような印象を持ちましたか?
当初、僕は“つなげる”とか“つながる”という言葉に対し、意識高い系の人が使うイメージがあったので、ネガティブな印象を持っていました。だから、「実際に参加してみて、(自分が)どう変化するか見てみたい」という欲求もありましたが、「もしネガティブなままであれば、そこでお客さん見つければいいや」という気持ちもありました。
初日から積極的に名刺交換はしましたが、結局、最終的には、よくあるワークショップのように「みんなでおもしろいことやりましょー!」と言うだけで終わる感じかなと思っていました。
──当初、「落書き」にはどのような問題意識を持っていましたか?
当事者ではなかったので、最初は、「落書きに美術点をつけて評価できるようにすればいいんじゃないか?」みたいに、理想や現実性が伴わないアイデアを多く述べていたように思います。
ただ、多様なセクターのメンバーと何度も対話を重ねていく中で「当事者にならなくてはいけない。理想ばかり並べるだけでは、何も変わらない」と思う瞬間がきました。
自分が言った意見でも「どうすれば、これを実現できるかな?」と思うようになったんです。人が言った意見に対しても「それはどうすれば形になりますかね?」と、とにかく進める方向に考えるようになりました。そうすることで、現実味を帯びてきて、みんなが当事者になっていく、そんな感覚がありました。