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それでも、強い弱いは関係なく、自分が唯一真剣になれたのが柔道だったので、諦めたくなかったんです。柔道を諦めてしまったら、自分には何もなくなってしまうから。誰からも期待されないけど、自分だけは己に期待してもいいんじゃないか。その確信のない期待だけが支えでした。

大学生になると、これまで磨いてきた技術と成長した身体のバランスがやっと取れてきて、2年生で初めて学生チャンピオンになることができました。そこから、身の丈にあった目標を設定し一歩ずつ乗り越えることで、徐々にオリンピックの金メダルが現実のものとして見えてきたんです。

「世界一になるため」の稽古で手に入れたオリピック3連覇

そんな自分が初めてオリンピックで金メダルを手にできたのは、1996年21歳のとき。アトランタオリンピックの舞台でした。

日本で生まれて世界に広まった「お家芸」の柔道で、日の丸を背負って戦える喜び、期待される嬉しさを感じました。

が、それと同時に襲ってきたのが、金メダルしか評価されない、途方もないプレッシャーと恐怖。4年に一度しかないオリンピックの試合本番に、体調やコンディション、精神力、すべてのピークを合わせなければならない過酷さは、生半可なものではありませんでした。

しかし、オリンピックで優勝することは、何より自分自身が求めたこと。誰に頼まれたわけでもありません。私自身が求めたチャレンジだったからこそ、そのすべてを受け入れて、戦い続けることができました。

アトランタで金メダルを獲れた後、次のオリンピックまでの4年の間には、当然自分の肉体も変化するし、若手も台頭してきます。また、チャンピオンになった自分の柔道は、世界中のライバルたちに研究し尽くされるので、常に自分を進化させなければなりません。

連覇までの道のりは、自身の実力や置かれている状況を客観的に見て、いま何をすべきかを判断しながら着実に実行していくことが求められました。



そのために、私が自分を信じてやり続けたのは、「世界一になるため」の稽古。

「毎日やる」稽古でもなく、「しんどいだけの努力」でもなく、「世界一になるため」の稽古です。

具体的には、乱取りという試合形式の稽古で、実践的に相手と質を求める練習。試合に勝つための稽古を、どれだけ実践に近い意識を持って取り組めるか。それしかありませんでした。特に、オリンピックという独特の緊張感、恐怖感に包まれた中で、5分間で自分の力を出し切ることを想定した練習をとことんやり続けたわけです。

それを見ていた周りの人たちのなかには、練習量より質にこだわっていたため「野村の練習時間は短すぎる」「サボりじゃないか」という人もいました。けれど、自分にとってこれがいちばんの方法だという確信があった。

文=松崎美和子 写真=小田駿一

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