ビジネス

2019.07.26 15:00

名古屋発ゲームベンチャーの挑戦。ワンダープラネットはなぜヒット作を輩出できるのか?

ワンダープラネット 常川友樹


「当時、東京で8年間、自ら創業したインターネットメディアの会社を経営していました。30歳になった頃、地元名古屋に数少ない業種の会社を作って大きく育てることができれば、起業家として、自分がやるべき仕事として、意義があるのではないかと考えました。実際、名古屋にはゲーム会社が数社しかなく、地元の優秀な人材が東京や大阪へ流れてしまう状況でした。そこで、名古屋に一人で帰ってきて立ち上げたのがワンダープラネットです。
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WonderPlanet(ワンダープラネット)の社名はWorldwide(ワールドワイド)、Nagoya(名古屋)、Developer(デベロッパー)、Play(プレイ)、Amazing(アメイジング)、Network(ネットワーク)、僕がやりたいテーマの単語の頭文字を組み合わせて名づけました。「世界中へ、名古屋から生まれた開発チームが、遊びごころあふれる驚きとワクワクを広げていく」という思いを込めています。」(常川)

名古屋から世界へ進出することは創業時から考えていたという。その結果として、日本だけでなく世界(地球)そのものがもっと楽しくなれば、との思いもダブルミーニングとして「ワンダープラネット」という社名にかかっている。

ヒットのきっかけはゲームを「作る力」と「売る力」
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創業時からスマホゲーム事業を手掛け、最初のタイトルはゲーム開発未経験のエンジニア達と共に3ヶ月ほどで開発できたという。しかし、驚くほど全く売れなかった。その経験から、スマホゲームは作って終わりではないと初めて気づいたと常川は振り返る。

「ヒットしているタイトルはゲーム部分だけではなく、運営がすごいと気づかされた。例えるならコンビニと同じで、店舗を作り、24時間サービスを提供し、そこにお客さんがきて、商品を買っていく。その全てに対応できて、初めてヒットタイトルが生まれる。

でも、当時の私たちは店舗の外側だけを作って、内装も商品もサービスも中途半端。店舗運営が何もできていなかった。そこから何本かゲームを作って運営し、一つひとつ時間をかけて学び、今ではジャンプやスクエニのタイトルも任されるような会社になりました」(常川)

当初から開発力(作る力)はあった。しかし、作ったゲームを「売る力」が欠けていた。そこへサイバーエージェントの第一号社員であった石川篤やZynga日本法人にいた久手堅憲彦が取締役として入社、その後VCから資金を調達することができ、流れが変わった。ゲームを作る力と売る力、両方が手に入ったのは2013年のことだ。


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文=大木一真、写真=小田駿一

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