退路を断ち、小出監督にすがった若き頃の選択|高橋尚子 #30UNDER30

スポーツキャスター 高橋尚子

今年で2回目の開催となる、30歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」。

今年は、昨年度の5部門から10部門に増やし、幅広い領域で活躍する30歳未満を合計30人選出する。選出に際して、各部門の第一線で活躍するアドバイザリーボードを組成。各界のフロントランナーたちに選出審査を依頼し、その結果をもとに編集部で協議を行った。



スポーツ部門のアドバイザリーボードのひとりに就任したのは、元女子マラソン選手でスポーツキャスターの高橋尚子だ。

2000年のシドニー五輪女子マラソン、35km地点手前。当時28歳だった高橋は、かけていたサングラスを沿道に投げ飛ばすと、激しいデッドヒートを繰り広げていた海外選手を一気に突き放した。

そのまま逃げ切り、日本女子陸上界初となる金メダルを獲得。まさに国民的ヒーローになった彼女は、しかし今、その金メダルを「過去のもの」と言い切る。

華々しい競技生活を支えたのは、メディアでしばしば取り上げられる故・小出義雄監督の存在だけではなかった。高橋の金メダルを可能にした、的確な目標設定と、ある意外な才能。それらをフル活用して、現在はスポーツキャスターや実業家としてビジネスでも活躍する彼女が、成功の軌跡と手に入れた本当の「財産」を振り返る。

陸上が仕事にならなかった時代に抱いた夢



「オリンピックで金メダルを獲った」と言うと、「小さい頃からものすごく英才教育で……」みたいに思われがちですが、全然そんなことはありません。むしろ逆で、教員だった両親には中学、高校、大学とずっと陸上をしている私に、「いつまで遊んでいるのか」と思われていたと思います。当時は陸上が仕事になる時代ではありませんでしたから、心配だったのでしょう。私も両親と同じ、学校の先生になることがずっと夢でした。

だからこそ、22歳で小出監督が率いていたリクルートの実業団チームの門を叩いたのは、大きな決断でした。大学でも教職の授業を取っていて、母校に教育実習に行かせてもらって、「教壇に立つ」ということを初めてリアルに体験したところ。15年以上、抱いていた夢がついに実現するタイミングで。「自分にも可能性があるのなら、もう少し陸上を続けてみたい」と思ったんです。
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文=朽木誠一郎 写真=小田駿一 ヘアメイク=小森真樹(337inc.)

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30 UNDER 30 2019

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