挑戦する人と挑戦する企業をつなぐ、Forbes JAPAN 初の採用ブランディング

1998年に福岡は筑後の地で、たった4名でスタートしたタマホームはなぜ、わずか20年の間に、売上1,600億円超・従業員数3,000名超の東証一部上場企業まで成長できたのか。その要因を考えるとき、単なる根性論では決して片付けられない、時代の流れを読んだ数々の戦略が見えてくる。

創業者である玉木康裕氏(現会長)から経営のバトンを引き継ぎ、新たなスタートを切った新生タマホーム。次世代の経営層は、先代のカリスマ経営者の下、住宅販売という領域において抜本的な改革を続けて得た成功にとどまるつもりはない。

『家から暮らしへ』そして、『個人から組織で』。事業と組織の両面で、タマホーム史上類を見ない挑戦は、既にはじまっている。

誰もが知っているタマホームの、これまであまり知られることのなかった、挑戦の歴史を紐解いていく。

時代の流れを読んだ、大胆な戦略で成長

タマホームと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、タレントの木村拓哉さんをはじめ数々の著名人がCMで歌ってきた「ハッピーライフ、ハッピーホーム、タマホーム」というメロディーだという人は多いだろう。

また、住宅販売業界ということで、いわゆる体育会系の泥臭い営業会社という勝手なイメージもつきまとう。実際にタマホームも、「挨拶は相手に対する礼儀」「挨拶はすべての基本」として、挨拶を徹底する社風があり、規律の強さがあることは事実だ。しかしやはり、それだけではない。タマホームの確かな成長を支えてきた、独自の戦略をいくつか取り上げてみたい。


タマホーム 取締役副社長 玉木克弥

例えば、『創業のタイミング』。タマホームが創業した1998年は、2度目の消費税増税から一年後のこと。増税前の駆け込み需要の後で、住宅業界は大不況の時期だった。こんな時期に住宅会社を立ち上げるなど正気の沙汰ではないと言われる中で、「高品質で低価格な家をつくれる仕組みがあれば、必ず買い手はある」と確信した、現会長の玉木康裕氏は奔走。『坪単価24.8万円』という衝撃的な価格を打ち出した。当時の日本の坪単価が60万円〜100万円だったことを考えれば、その凄さは想像できるだろう。

良い家を安く提供するために目指したのは、人件費を安く抑えるなど誰かにしわ寄せがいくような、一時しのぎのようなやり方ではなく、住宅業界の常識だった家づくりの工程を根本から見直すことだった。従来のやり方と言えば『積み上げ方式』と呼ばれるもので、この木材を使えば幾らかかる、オール電化にすれば幾らかかるといった風に、加算していくもの。このやり方は当然青天井であり、タマホームが目指す坪単価は実現できない。

康裕氏は、あくまでも坪単価ありきとし、資材メーカーへ直接発注することで、仲介費用分を圧縮したり、施工会社を通さず自社で施工管理を行ったりすることで、コストを大幅削減し、『坪単価24.8万円』を実現するに至った。

しかし、高品質で低価格というだけではなく、工期の短縮までも実現するという、タマホームの提案は消費者にとってはまるで夢物語だったのだろう。競合と呼ばれる企業からは、「柱はついているのか」「きちんとした壁はあるんでしょうね」と揶揄されたのも事実だ。

ただ、懐疑的な目を向けていたのは一部の人間だけ。消費者はもちろん、同業他社の営業マンたちが反応したのだ。業界の仕組みを熟知しているからこそ、タマホームの改革の凄さが理解できた。大不況の中にあっても、多くの転職希望者が集まったことで、タマホームの成長を加速させていく大きな原動力になったと言われている。

強いリーダーシップを発揮する、創業者の素顔

『展示場出店の加速』もそうだ。これは、当時の「日本の人口は2010年をピークに減少に転じ、2050年には1億人を切るだろう」という政府発表の人口予測に基づいたものだった。2010年までが、急拡大する上での勝負時だと見た康裕氏(現会長)は、銀行の反対を押し切り、利益のほとんどを出店につぎ込むという強気な戦略を実行し続けた。実際、2010年の沖縄出店を持って全国47都道府県への出店を完了させている。

業界の常識にとらわれない大胆な戦略を打ち立ててきたのは、他でもない創業者の康裕氏(現会長)だが、その素顔は豪傑な人間的魅力に溢れている。康裕氏の次男であり、現副社長の玉木克弥氏は笑いながらこう言った。「以前は、すべての中途採用面接に会長が出ていたんですが、2時間近くある面接時間は、基本的に会長が話すんです。会社の過去・現在・未来について、とにかく話す。で、最後の最後に、『で、いつから来るんだ?』って聞くのがお決まりでしたね」。

他には、博多弁で「いいよ、気にしなくていいよ」という意味を表す「よかよか」という口癖も有名だ。会長は、自分のつくった会社に入社してきてくれた社員は、まさに家族同様だという思いが強い。社員たちの挑戦も失敗も含めて、大目に見るということなのだろう。最後は自分が責任を取るから、やってみたらいいよという意味を込めたこの言葉は、様々な場面でよく聞かれたそうだ。



次世代経営陣の決意。「これからのタマホームは、みんなで経営をしていく」


しかし2018年、創業から20年という節目で経営交代を発表。カリスマから次世代へと、タマホームの経営のバトンは渡された。そのことについて克弥氏(現副社長)は、「ここまでの成長は会長個人の強烈なリーダーシップに支えられてきた面が多い」とした上で「これからのタマホームは、みんなで経営をしていく」と言った。

2006年新卒入社の社員を、35歳のタイミングで執行役員に抜擢したケースは、その決意を感じる人事だと言える。タマホームの新商品である、愛猫家のための猫と快適に暮らすためのコンセプトハウス、「ねこと私の家」の開発を手掛けた人材であり、本人の才能や努力があることは自明のことだ。しかし、ただ称賛するのではなく、立場と権限を与えることで、存分に力を発揮してもらいたいという、経営陣の姿勢が垣間見える。

また、定期的に行いはじめた、社長と直接意見交換ができる『聴聞会』は、みんなで経営するという決意が、象徴的に表れている取り組みだ。会社規模が大きくなり、一般社員が社長に意見する機会がなくなることは、決して不思議ではない。むしろ階層構造を明確にするという意味でも、敢えてそうするケースだってある。

しかし、玉木伸弥氏(現社長)は、自ら直接現場の思い聞き、それを経営に活かしていきたいと考えたのだ。実際に、聴聞会を通じて得た、現場で起きている問題や現場から寄せられた提言は、経営会議の議題として上げられている。その事実は、社員の意識にも変化をもたらしはじめている。それは、「号令にしたがって思い切り頑張ろう」ではなく、「自分たちの考えが求められている」「会社づくりに貢献したい」という思いの芽生えだ。

タマホームはむしろ、これから。

また、組織面のみならず、事業面でも新たな展開を仕掛けようとしている。これまで会社を発展させてきた大きな柱である、戸建て住宅の販売だけにとどまらず、暮らし全般にかかわる事業に乗り出していくことに積極的だ。

大切にするべきはミッションステートメント。「すべては“Happy Life”のために“Happy Home”を提供する」を実現するのは、何も住宅だけではない。「お客様の暮らしを豊かにできることについては積極的に取り組んでいきたい」という、克弥氏(現副社長)の言葉からもわかるように、賃貸住宅の仲介や家具の販売や保険の代理店業務など、これまでのタマホームからより広がりを見せる事業を検討・展開しはじめている。

住宅販売という領域に置いては、オリジナルの形を、いちから作り上げてきた自負はある。しかし、それ以外の事業領域についてはこれから。成功にとどまらず、挑戦者として未経験のフィールドに自ら飛び込んでいく上での思いについて話を向けると、むしろ楽しみにしているとでもいうように、克弥氏(現副社長)はこう言った。「まだ何もない、タマホームはこれからですよ」。

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