吉本興業の謝罪史 横山やすしから宮迫博之まで

雨上がり決死隊の宮迫博之とロンドンブーツ1号2号の田村亮(Getty Images)

宮迫博之をはじめとするお笑い芸人による「闇営業」問題について、吉本興業の岡本昭彦社長が、7月22日、初めて公の場で語ることになった。

吉本の芸人をめぐっては、これまでも不祥事が相次いでいた。決して他人事とはいえない、企業の不祥事への対応。まさに企業のコンプライアンスともいうべき問題がここには潜んでいる。私たちは今回の吉本興業の対応から何を学べるのだろうか。まずは、繰り返されたその歴史を振り返ってみよう。

横山やすし(1970年など)

かつて吉本のトラブルメーカーと言われた横山やすし、1970年のタクシー運転手への傷害事件及び無免許運転で長期謹慎となった。その後も、1977年にタクシー運転手への侮辱罪で告訴されている。

長男で俳優の木村一八がタクシー運転手に暴行を加えた事件でも、記者会見で「いくらカワイイ息子がやったこととはいえ、人を生きるか死ぬかの目に遭わしてしまって、ホンマにすんまへんでした。スンマヘン」と号泣しながら話し、無期限の謹慎処分を申し出た。

そして、1989年、復帰直後にも関わらず、飲酒運転で捕まり、ついに吉本興業を解雇された。

「極楽とんぼ」の山本圭一(2006年)

お笑いコンビ「極楽とんぼ」のボケ担当の山本圭一は、2006年7月に10代の少女に対して飲酒行為と性的暴行を行ったとして警察から任意聴取を受けた。

その後、吉本興業との専属契約を解除され、2016年11月に再契約した。

島田紳助(2011年)

1977年に松本竜介と漫才コンビを結成し、80年代の漫才ブームを支えた島田紳助。当時からレギュラー番組を数多く持っていた。

しかし、暴力団との交際が明るみになり、2011年8月に引退会見をした。会見では「後輩に示しがつかないので、いちばん重い処罰を自分に科した」と話していたが、「僕の中ではセーフだと思っていた」とも語った。

「次長課長」の河本準一(2012年)

お笑いコンビ「次長課長」の河本準一は、母親が生活保護を受給していたことが明るみになり、2012年5月に涙の謝罪会見を開いた。

芸人として仕事が少ない時期に母親が病気で働けなくなり、受給を開始した。売れてからも受給が続いていたことが世間から問題視されたが、手続き上は問題がないことが確認された。
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文=井土亜梨沙

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