今から19年前の2000年11月1日深夜0:00。日付が変わった瞬間、その米国の巨大サイト、アマゾンの日本ドメインがインターネット上に生まれた。「アマゾン ジャパン誕生」。すなわち「http://www.amazon.co.jp」のURLがアクティブになった瞬間である。しかしその胎動は、遡って1997年頃から始まっていた。
そしてそこには、まったく知られていない物語の数々があった。
北京での駐在員妻生活を経て帰国後、紀伊國屋書店に復職を決めていた筒井理枝。
だがすべては、深夜の1本の電話から始まった。出版流通業界を知り尽くしたアマゾン ジャパンで初めての人材として、混沌のアマゾン立ち上げ準備の世界に身を投じた筒井を、幾多の困難が待ち受けていた。
当時は出版バブル、書店出店ラッシュの時代。書店同士の競争も激しい。それどころか書店のみならず、書籍は駅売店やコンビニでも定番アイテムになっていた。オンライン書店という新たなチャネル、しかも外資系としてのそこへの参入は、容易であるはずがない。
客層は「未知」、オープン日は「秘密」
何より、書店が出店する際は、取次が出版社との窓口を取りまとめて初期在庫を準備していく。
しかしアマゾンの場合、唯一手を組んでくれた取次である大阪屋でさえ、「開店日」しか知らされていなかった。開店時期ばかりではない。「客層」も謎なうえに、店舗の「面積」も仮想ときている。取次が準備もバックアップのしようもないという、出版業界からすると、まったく「未知の出店」だったのである。
しかも、NDA(機密保持誓約書)のサインが出版社からなかなか取れないから、大阪屋からも詳細を説明できない。すなわち、納品してもらう出版社に、オープン日の11月1日さえ言えない……。
北京での駐在員妻生活を満喫後、夫とともに帰国した筒井を待ち受けていたのは思いもかけない「ドラマ」だった
もう1つ困ったことがあった。出版社から「漫画や雑誌も売るんですよね?」と訊かれた時、「いいえ」と答えなければならなかったことだ。当の筒井にさえ「雑誌が並ばない書店」はイメージできないくらい非常識だったが、当時のアマゾンは、コミックを含む雑誌コードは扱えなかったのだ。
当然、「漫画も売れないような書店は、別にいいです」となる。漫画や雑誌はドル箱である上、何しろ当時は書籍・雑誌で1兆円ずつの売上があった時代、書店はいくらでもあったのである。とくに大手のいわゆる音羽グループ、一ツ橋グループ系の版元が、漫画を売らない「謎の書店」に興味を示さなくても不思議はない。
取次の大阪屋は苦悩した。本来、半年くらい前から準備する「初期在庫」が確保できない。一体どうすればいいのか?
そこに1社だけ、NDAにサインしてもいい、という出版社が現れた。ベストセラー翻訳書『神々の指紋』を出したばかりのコンピューター専門出版社、翔泳社である。アマゾンは翔泳社には、サインと引き換えにローンチのXデーを伝える。