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2019.09.12 08:00

ローンチ当日に一番売れた本|アマゾン ジャパンができるまで 第9回


その後、他にも手を上げる版元が出てきた。「マルチメディア戦略」と称して、映画、グッズ、芸能と書籍・雑誌以外のさまざまに手を広げていた角川書店だ。

元大阪屋で、当時東京支社から「アマゾン専従担当」としてアサインされた古市恒久氏は、当時を振り返ってこう話す。

「業界的に当時、『アマゾン=黒船』という負のイメージが蔓延していたため、出版社への対応は本当に困難を極めました。とくに中小出版社の一部にはアマゾンへの『納品拒否』の反応もありました。それどころか、書店のみならず社内からも、疑いの目があったと思います」

その頃、同じ渋谷クロスタワーにオフィスがあったドイツの同業者「BOL」には大手取次の日販がついていた。そして、別の競合「bk1」にはトーハン。両サイトともすでにローンチしていた。

アマゾンではマーケティング担当者が、調査の目的でBOLとbk1に毎週注文をして、発行される「注文番号」が1週間でどれくらい進むかをトラッキングしていた。コンペティターの売れ行きのボリュームを推測するためのいわゆる「競合調査」だ。

この調査には、他にも意味があった。「日本のカスタマーも、本をインターネットで注文する」ことを確認する目的である。

通勤途中で書店がいくらでもある日本で、オンラインで本当に人は本を買うのか? アメリカのように、書店まで20マイルも運転する必要がなく、大小書店が2万店舗もあり、コンビニでも本が買える環境で、わざわざ「待ってまで」本をインターネットで注文するのか? という議論がそあったからである。

ベゾスが「鏡割り」した深夜にサーバーダウン

さて、筒井が、書店員としての「接客」をカスタマーサービスに、売れ切った在庫の「補充」をサプライチェーンに一任することで、やっと本来の「仕入れ担当」に徹することができた頃、「世界で一番長い川が日本に流れ込みます」といった文面の招待状で、ついに日本でのローンチと「Amazon.co.jp」(Amazon.ne.jpのドメインは、三木谷浩史率いる楽天/クリムゾングループによって取得されていた)のURLが公にされることとなった。

もっとも、ローンチまでに解決できなかった、いかにも外資系らしい不具合もあった。カスタマー登録した後、「ようこそ」のページに表示される姓名が逆転していたのである。つまり、「ようこそ、理枝筒井さんへ」になっていた。

そんな、解消されないトラブルはあったものの、ローンチ発表のために、本社のCEOジェフ・ベゾスも来日する。そして2000年11月1日。恵比寿のウェスティンホテルの会場で、本人たっての希望によりベゾスが「はっぴ」を着て鏡割りをした。


2000年11月1日、ローンチ・パーティーでジェフ・ベゾスがはっぴを着て鏡割りした後、この升で升酒が振舞われた

そのお祝いムード満点のローンチ当夜のことだ。夜10時からの「ニュースステーション」にベゾスが出演したところ、アップしたばかりの「Amazon.co.jp」のサイトにトラフィックが集中し、11時30分頃、サーバーがダウンしてしまったのである。メインキャスターの久米宏の隣にベゾスが座って日本全国の画面に写っている、まさにその時間帯にだ。

加えてローンチの翌朝も、大変なことが起きていた。


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文・構成=石井節子

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