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2019.09.12

ローンチ当日に一番売れた本|アマゾン ジャパンができるまで 第9回


立ち上げ前のアマゾンには、販売データがないから、当然、売れ行きランキングも存在しない。だから、実は、ローンチの瞬間は「ダミー・ランキング」を表示していた。ところが、11月2日の朝、『片瀬那奈写真集』、そしてちょうど同日発売だった飯島愛の『プラトニックセックス』など、ランキング内の書籍がすべて売り切れていたのである。

急遽、やはり初期から立ち上げに動いていた1人であった南平玲子が、紙袋を持って一番近い渋谷の書店、大盛堂に走ったが、全部は揃わず、新宿の紀伊國屋書店にも買いに走る。

そして、路面店で一般顧客としてようやく購入した「1280円の本」を、サイト上で「1280円で売って」しのいだのである。この時、サプライチェーン担当の瀧井が「フルプライスで仕入れたものを、どうやって在庫に計上するんだ! 計算が合わないぞ」と怒ったことを、筒井はよく覚えているという。


2001年、ジャパンローンチ後に来日し、渋谷クロスタワーのオフィスを訪れたジェフ・ベゾスと。

路面店の売れ筋とこんなに違うのか!

一方、大阪屋サイドは、ローンチをどんな思いで迎えたのか。

元大阪屋、荻田日登志氏は、ローンチ当日の夜、恵比寿のパーティーに参加していたが、翌日、想定外の大量発注をアマゾンから受けたという。「帰阪する新幹線の車中で、アマゾンのポテンシャルをしみじみと実感しました」と振り返る。

大手書店への気遣いから、アマゾンと付き合うことにはそもそも反対意見が多かった大阪の本社。荻田らが持ち帰った受注額の大きさに、社内にも衝撃は広がった。アマゾン本体が赤字続きで、どうせネットでは本は売れないという予想が大半だったなかでは、荻田たちが事前に社内に伝えた予測は、そこまでは信用されていなかったのだ。

「今から思い返せばすべてが大変でしたが、特にしんどかったのは、開店の日を伝えずに、出版社に商品供給の依頼をしなければならなかったこと。それと、『アマゾンは本当に大丈夫か?』との質問に答えられなかったことですね。でも、アマゾンは、とにかく基本方針に対してブレない。それから、カタログに対する思い入れが抜群に強く、顧客志向も徹底していた。これは、他の書店ではなかなか徹底してはできなかったことかもしれませんね」


2001年2月刊行「別冊週刊ダイヤモンド ビットビジネス 大特集 アマゾン ジャパン ウェブサイトから物流まで完全解剖」に掲載された荻田の記事

同じく元大阪屋の古市氏はこう話す。

「ローンチ後、アマゾンでの販売実績から、出版社のわれわれに対する期待値が徐々に上がってきました。出版社は、注文が入った時、その取次や書店に販売力がないと判断した場合、返品を恐れて注文冊数にバツ印を入れ、少なく納品することが普通なのですが、仕入部数に対しても、出版社からのそういう『減数』などなく、ほぼ要望通りの仕入れができるようになってきました。新刊情報や既刊書の情報も、より集まるようになってきましたね」

しかし、ローンチ後しばらくの間、仕入れ担当の筒井が苦労したことがある。それは、「オンライン書店の売れ筋」をつかむことだった。とくにローンチ直後は、サプライチェーン側から「全然デマンドがないものばかり倉庫にある、ずいぶん売れないものばかり買ったな」と怒られることがよくあった。

たとえば、パソコンのマニュアル書。物理書店のバイヤーとしての経験が長かった筒井は、2000年の11月時点で、路面書店で売れそうなものを開店準備初期在庫として買っていた。だが、アマゾンでは、書店に平積みになっているパソコンのマニュアル書の類が、とにかくまったく売れない。

なぜか━━?


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文・構成=石井節子

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