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2019.08.01

ビットバレー、ジェフ・ベゾスの「口癖」、そして|アマゾン ジャパンができるまで第3回

独占連載:アマゾン ジャパンができるまで


この日「ドゥ・マゴ」でスピーチに立ったこの男の本名は、西野伸一郎。1998年の「ネットエイジ」立ち上げにも参与、ビットバレーで名をとどろかせ、「インターネット・エバンジェリスト」などとも言われた人物である。

彼はこの時、アマゾン日本上陸の立役者の1人としてシアトルと東京を行き来しながら、ビットバレーの中核であるネットエイジにも役員として深く関わり続けていた。


アマゾン ジャパン立ち上げ準備の頃、シアトルから助っ人に来ていたアマゾン本社のトッド・エドボルスと西野伸一郎。背後に、立ち上げ前、アマゾンと名乗れなかった頃の仮の社名「エメラルド・ドリームス」が見える

インターネットのパワーを誰よりも「理解している大人」の1人である西野にとって、「パワー・トゥー・ザ・ピープル(人々に力を。1971年に発表されたジョン・レノンのヒット曲のタイトルでもある)」の象徴であるアマゾンを日本に持ってくることには、実は憧れの巨大組織を動かすこと以外に「ある歴史的な意味」があった。

それは、上陸したアマゾンの力をも活用し、ここ日本で、ネットの時代に「すごいこと」を起こすエコシステム(後述)を育てられる可能性、という意味である。そのためにも、ビットバレーのムーブメントを盛り上げることは重要な「基盤作り」だったのだ。

のちに「ジャパン・プロジェクト」のコアメンバーとなっていく仲間たちも、この後まもなく、ビットバレー系のネットワークから集まることになる。こう考えれば、まさに20世紀最後、渋谷を中心に発展したネットエイジの精神こそが、アマゾン日本上陸の「原資」になったと言っても過言ではないかもしれない。

では西野にとって、「ジャパン・プロジェクト」の立ち上げに、このビットバレー時代の精神がどう生きたのか。また、立ち上げ前のシアトル本社での勤務で、ジェフ・ベゾスから直接すりこまれた「アマゾン・スピリット」はどんなものだったのか。そして、西野にとって、「この人を抜きには語れない」というある人物とは──。

ジェフ・ベゾスがよく口にしたこと

アマゾン日本進出に際して西野は1年間、シアトル本社で勤務し、ジェフ・ベゾスと直接話をする機会が多くあった。大きな「高笑い」が有名なベゾスだが、記憶に残る口癖がいくつもあるという。

「ベゾスが繰り返し口にするセリフが、色々ありました。例えば、『Land Rush(ランドラッシュ)』。あの頃はまさに、インターネットという新しいフロンティアが出てきたランドラッシュ(1889年4月22日に合衆国政府が入植を解禁したオクラホマに、未開の土地を求める白人が殺到した現象)の時代でした。ベゾスは、『出来るだけ遠くまで行って杭を打ち、ここからここまでが俺の土地だ! と言ったもの勝ちなのだ!』という気持ちでこの表現を使っていました」

これは、のちの「ゲット・ビッグ・ファスト」や、ベゾスが現在でもよく言及する「Day 1(デイワン)」にも通じるコンセプトだ。当時、それがいかに重要なのかを、西野たちに何度も説明したという。またこれは、2000年頃、アマゾンの社員向けHPにあった「Vision and Values」の一項目でもあった「Bias for Action(計算した上でリスクを取ること)」のベースになっているスピリットでもある。

https://forbesjapan.com/articles/detail/28586
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文・構成=石井節子

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