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2019.08.15

集まってきた「ウィル」たち|アマゾン ジャパンができるまで 第5回


西野の回想からも引用してみよう。

「とくに洋書のアートブックが多かったのですが、ビジュアル的に問題のあるページを含むISBN(書籍を特定するための世界共通の番号)を、商品データベースから落として表示できなくするという仕事もありましたね。また、当時の日本では、始まったばかりのeコマースへの警戒感が強かった。そのため、本国で主流となっているクレジットカードやチェック以外に、『郵便為替』などの日本独自の支払い方法を用意する必要があった。なんと、クレジットカードの番号をネット経由で教えたくない人のために、番号をFAXで送れる窓口も用意したんです」

日本は「代引き」のニーズが30%もあり、米国はもちろん、その他の国と比べてもそもそも高いと同時にクレジットカードへの不信感が非常に高かった。ひるがえって米国本社では"Amazon, and you’re done"(「アマゾン 、たったそれだけ」)がキャッチフレーズだったくらいで、とにもかくにも「便利さが売り」だった。

「ベゾスにも、『便利にものが買えるからこそのeコマースなのに、なんでわざわざモノが届くときに家で待っていて、さらに現金まで用意しておかなきゃならないんだ?』って言われていた。僕自身も未だに一度も代引き決済したことがなく、代引きしたい人の気持ちがわからないものだから、反論に説得力を持たせられなかったのかもしれない。結局、改めて日本でのニーズが高いことを数字で示して、どうにか代引きをサービス開始できたのは、ローンチ後1年も経った2001年11月でした」


2001年2月刊行「別冊週刊ダイヤモンド ビットビジネス 大特集 アマゾン ジャパン ウェブサイトから物流まで完全解剖」に掲載された西野の記事

「また、ローンチ時のアマゾン ・ジャパンの『タブ』は『ようこそ』と『本』の2つだけでした。現在では商品カテゴリーが多岐にわたり、2階建て、3階建てとなっていく過程で『タブ』は廃止され、すべて『プルダウン』からカテゴリを選ぶようになっていますが、当時はカテゴリーごとにタブを分け、色も変えていた。

『洋書』というタブも設けていたのですが、ベゾスはじめ、米国本社のアメリカ人に、日本人にとって『洋書』は『和書』とはまったくの別プロダクトで、カスタマーの属性も需要の性質もまったく違う、したがって違うタブで分けるべきだ、と理解させるのがものすごく大変でした。だって彼らにとっては、『洋書も和書も同じ本じゃないか!』だったのです」

この説得も結局、ローンチには間に合わず。最終的には和書とは色も変えて、洋書を別タブにすることができたものの、当時の洋書ディレクター、多賀谷祐貴を中心に、これには大変な苦労があったという。ちなみに、ジャパンが洋書と和書のタブを分けセールスを増やすことに成功したのを受けて、やはり英語圏ではないAmazon.de(ドイツ)が、すぐさま同じ展開をした。


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文=石井節子/福光恵 構成=石井節子

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