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2019.07.28 08:00

白紙撤回された内定書 |アマゾン ジャパンができるまで 第2回

独占連載:アマゾン ジャパンができるまで

アマゾンCEOジェフ・ベゾスに出した1通のメール(第1回参照)から、アマゾン日本進出のプロジェクトの幕が切って落とされた──はずが、1998年11月、突然、オファーレター(内定書)は白紙撤回される。

「ある朝、起きてみたらFaxがカタカタ、カタカタ、と……。見たら、シアトルから『社員にというオファーはなかったことにしてくれ』というレターだったんです」と西野。文面には、「11月19日の会議で、アメリカ国内に直面しなければならない問題が山積している現時点で、日本に上陸することは賢明でないとの結論に至った」とあるではないか。

当時、アマゾン・ドット・コムでは、イギリス、ドイツの立ち上げを終え、買収後のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)でバタバタだった。この先は「国」を増やしていく「グローバル・エクスパンジョン」よりも、商品を増やす「『プロダクト・エクスパンジョン』を優先すべきである」が、日本に上陸するタイミングではないというのが、取締役会においての「ジェフ以外の大半の意見」だった。


ある朝、西野宛てにFaxで届いた「オファーを白紙撤回したい、日本進出の話はなかったことにしてくれ」という内容のレター。”I know that Jeff was very excited about making Amazon.com a success in Japan and it was not easy for him to walk away from almost a year’s worth of time and effort.(ジェフ(ベゾス)はアマゾンを日本で成功させることに情熱を感じていたし、1年にわたる検討の時間と努力をあきらめることは、彼にとっても容易なことではないのです)”と書かれている。

採用しないなら「バーンズ・アンド・ノーブル」に行くぞ

西野は慌てて岡村に電話し、2人はその夜急遽、赤坂で落ち合う。

当時インターネット業界では「ドッグイヤー」という言葉がよく使われていた。犬の1年が人間の7年に相当すると言われていることから、IT業界の技術進化の早さをたとえたものである。だからアマゾンから内定が出た時には、2人は「さすがアマゾン、意思決定が早い! まさにドッグイヤーを地で行く感じだよね」と言い合ったものだ。

ところが結局、ジャパン・プロジェクトは具体化しない。それどころか「なかったことにしてくれ」などという想定外の展開とは──。「何がドッグイヤーだ、いつまでも意思決定できないじゃないか!」と、酒も入っていたことで荒れる2人。

西野の中には「憧れのアマゾン」からのまさかの対応への失望がくすぶると同時に、こんなことで日本進出に出遅れてはいけない、という気持ちが新たに鎌首をもたげていた。むろん岡村にも、このまま引き下がるつもりがまったくなかったことはいうまでもない。

この日の赤坂でともあれ2人は、「この状況を挽回するために何でもしよう」という合意にいたった。

岡村は、最初に会ったM&A担当のニック・ベネッシュに、電話で「その1. 採用しないならバーンズ・アンド・ノーブル(アメリカ最大の書店)に行く。その2. 研修生という身分でもいいからアマゾンで働きたい、とにかく日本上陸に参画させてくれ」という最終的な要求を出すぞ、と連絡をしてくれと頼んだ。真実、最後通牒のつもりであった。


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構成・文=石井節子

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