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2019.07.28

白紙撤回された内定書 |アマゾン ジャパンができるまで 第2回

独占連載:アマゾン ジャパンができるまで


かたや岡村は依然として、先に述べた「カタログ」と「ソーシング」という2大ビッグディールと格闘していた。ともに、コスト・時間ともに膨大にかかる難物だ。

そればかりでなく、書籍はつぶさなければならないフィールドがとにかく多い。その上、やれ、かな漢字変換のための形態素解析だ、サイトデベロップメントだと専門外の勉強に時間を割いたり、「3カ年事業計画」を書けと言われて、テンプレートもないところを手探りで取り組んだり。岡村は暗中模索の日々を送っていた。

アマゾンは折しも、「ゲット・ビッグ・ファスト」の時代。あの手この手で市場占有率を上げる戦略で突っ走ろうとしているフェーズで、組織自体が大混乱の状態だった。株価が下がり、M&Aも頻繁に行われ、人もどんどん入れ替わる中、ジャパン・プロジェクトの優先順位は下がっていく。

さらには、日本立ち上げ要員採用の許可も降りない。たとえばシアトル側は「エンジニアには、過去巨大なプロジェクトで大きなミスをして、リカバリーをした経験のある人材しか雇わない」といった態度を崩さず、エンジニアを頑として採用しなかった。つまりアマゾンは、「WindowsOSの開発者」レベルを探していたというわけだ。

そんな頃、岡村・西野がベゾスに提案し、実現した大きな「事件」がある。システムのグローバル化専門の企業である「ベイシス・テクノロジー」の買収である。日本進出にあたっては、「文字コード」の問題がクリア必須の高い壁だった。ASCIIのような1バイトでは最大256文字しか入らず、日本語には対応できないため、文字コードの2バイト化は必須だったのだ。その中、ベイシスの買収によってそれが可能になったことは、文字通り起死回生の事件だった。

もともと、アマゾンの海外展開の中で、「日本は難物だ。手出しはできない」と反対する声が大きかった理由が、日本語「2バイトコード」問題だった。だから、ベイシスの参入が叶ったことで、「いよいよだ」という実感が後押しされたのである。



岡村、離脱への迷い

この頃、ランディー・ティンズレーから2人は「お前らの上司を探せ」と言われていた。2人とも、言ってみれば日本のただのサラリーマンにすぎない。アマゾンとしては日本の責任者、「カントリー・マネジャー」には、それなりの規模の組織を束ねた経験のある、然るべきスペックの人材を冠したいというのだ。

だが、さすがにこれと言う人物を推薦することもできないまま、カール・ホフマンがVPアジアとして雇われた。レポートラインがギャライからホフマンになって、ベゾスからの距離はさらに遠のいた(この頃のホフマンの脳裏には、後にジャパンのカントリーマネジャーとなる長谷川純一が候補として上がっていた)。ホフマンにベゾスからみるみると権限が移譲されていく。情報の流れもかつてほどシンプルではなくなってくる。

岡村の胸にフラストレーションが蓄積され始めたのも逆にこの頃だ。

ベイシスを引き入れるなど確かに「進んでいる」感はあったものの、渡米当時に比べればベゾスともなかなか会えなくなり、途中からほとんどアポが取れなくなる。日本での倉庫やサプライチェーンのパートナーも、シアトルの専門部署が決めて、聞かされるのは事後報告だ。

何よりも「自分が進めている」感覚がなくなってきていることが辛かった。自分がプロジェクトを動かしていないし、疎外感のようなものが募る。俺は一体、なんのためにここにいるんだ──? こんなことならば日本で、図書館流通センターが母体となって立ち上げ準備をしているらしいオンライン書店サイト「BK1」に移り、ゼロから立ち上げてしまった方が早いのでは……。


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構成・文=石井節子

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