ビジネス

2019.07.25

ジェフ・ベゾスを動かした1通のメール |アマゾン ジャパンができるまで 第1回

独占連載:アマゾン ジャパンができるまで

世界最大のECサイト、アマゾン。デジタル製品なら数十秒でダウンロードでき、形のあるものでも、ねじ1つから、2000万円のスペイン製の大理石テーブルまで、商品によっては即日届く。昨年、Prime会員数は「全世界で1億人突破」とも報道された。

今から19年前の2000年11月1日深夜0:00。日付が変わった瞬間、その米国の巨大サイト、アマゾンの日本ドメインがインターネット上に生まれた。「アマゾン ジャパン誕生」。すなわち「http://www.amazon.co.jp」のURLがアクティブになった瞬間である。

しかしその胎動は、遡って1997年頃から始まっていた。そしてそこには、まったく知られていない物語の数々があった。

始まりはジェリー・カプラン著『Startup』のURLだった

岡村勝弘。農林水産省の官僚の座を辞し、リクルートを経てスタートアップの経験もした彼は、1998年当時、ソフトウェア企業「アクセス」に勤めていた。時はちょうど、アマゾンが上場を果たし、アメリカ本国では有名になり始めた頃だ。

岡村のオフィスにはシリコンバレーから、提携希望のベンチャー企業が週に2、3社訪ねてくる。外資系企業勤務の経験がなかった岡村は、彼らと会うなかで、考え方ややり方の違いを感じていた。そこで、シリコンバレーのビジネスモデルを知りたいと、何人もの友人に相談していたのである。


岡村勝弘。「日本にも、アマゾン・ドット・コムのようなオンライン書店は作れないのだろうか?」の思いをエネルギーに、猛烈にオンライン書店の調査を開始した。

そんな時、後述する「信濃川プロジェクト」のメンバーにもなったある人物が、あるURLをメールで送ってきた。それは、1996年に出版されたジェリー・カプランの『Startup』という洋書の、アマゾン・ドット・コムのページだった。

そのページには書影もあり、内容の要約や、目次もある。著者の説明もある。情報が豊富で、まるで実際に書店の本棚でパラパラページをめくって品定めしているような感覚で見られた。だが、洋書かあ、読むのがちょっと億劫だなあと思った矢先、今度は同じ人物から、翻訳書『シリコンバレー・アドベンチャー:ザ・起業物語』の、日本のオンライン書店のページが送られてきたのである。

岡村はそのページを一瞥して愕然とする。「アマゾン・ドット・コムの原書のページに比べて、なんて貧相なんだ」━━。掲載されている情報は、タイトル、著者名、出版社名、ページ数、すなわち、書誌データのみ。他の日本のオンライン書店も見たが、どれもどんぐりの背比べの殺風景さだ。アマゾン・ドット・コムのページとの、この落差はなんなんだ。

この時に、「日本にも、アマゾン・ドット・コムのようなオンライン書店は作れないのだろうか?」と思ったことを、岡村は鮮烈に覚えているという。

岡村はこれをきっかけに忙しい会社員生活の合間を縫って、猛烈にオンライン書店の調査を開始した。

アマゾン ジャパン立ち上げにはもう一人の立役者がいた。当時NTTの社員だった西野伸一郎である。この時点で岡村との面識はない。

当時はAOLが三井物産と組んで日本進出を決めたりしていた頃。西野のNTTでの職務の一つも、アメリカのネットベンチャーから、投資対象を探すことだった。


次ページ > アマゾンは「パワー・トゥー・ザ・ピープル」の象徴

文・構成=石井節子

タグ:

連載

アマゾン ジャパンができるまで

ForbesBrandVoice

人気記事