時代は情報から体験へ 水口哲也氏に聞く拡張現実の未来

(左)エンハンス代表 水口哲也(右)クオン代表 武田隆


武田:これ、とても気持ちがよかったことを覚えています。ジャンプして着地すると揺れるんですよ。でも、この企画、よく通りましたね。

水口:いや、実はこの企画を最初に役員に提案した時、困ったような顔をされて。「最初にまずヒット作品を作りなさい。もし大ヒットしたら作ってもいいよ」と言われました。それで先にアーケード版の「セガラリー」が誕生したんです。

ゲームというより、新たな体験を作りたかった

武田:ちょうどアーケードゲームが2Dから3Dに移行する時代と重なっていますよね。

水口:時代が3Dになった時、最初は誰も作り方がわからず、先輩も先生もいなかったし、僕も含め全員20代そこそこの若者が10人ほど集まって、どうしたら世界での大ヒットを実現できるか、手探りで作っていました。今のスタートアップの雰囲気と同じですね。なんでも自由に決められましたし、大変だけど楽しかったですね。

武田:事業採算を問われることはなかったのですか?

水口:もちろんありましたよ。役員から「ヒット指針は100億円を売り上げること。これを達成できたら、その後好きにしていい」と言われました。これは100万円のアーケードゲーム機が1万台以上売れるということです。当時の私には、100億円のイメージがつかなかったのですが、それよりもとにかく「世界に向けて新しい体験を作りたい」という気持ちが強かったです。

武田:ゲームというより、体験を作りたかったということですね。

水口:そうですね。大学時代、メディア美学を専攻していたので、「体験のデザイン」という発想は意識していました。1980年代後半からVRや3D音響といったコンセプトが出始めていましたし、メディアテクノロジーの進化が、体験の進化をもたらすといった考え方は強かったと思います。

武田:水口さんのプロダクトに触れる人がどう変わっていくかを見たい、という感じだったのですか?

水口:いやいや。その頃は、そんなに達観できていません(笑)。ただ、純粋な興味として、体験をデザインする、というのを自分の仕事にしてみたかったんです。当時、体験をデザインする仕事というのは、ゲーム以外に他に全く思いつかなかっただけです。

武田:その後、テクノロジーはものすごい勢いで進化しましたよね。

水口:そうですね。どんどん処理速度や表現の解像度が上がり、インターネットが世界に浸透しましたね。これからはVRだけではなく、AR、MRの時代も本格的に始まるでしょう 。AIや5G、ストリーミング技術を始め、テクノロジーはこの先、まだまだ進化していくでしょう。でも、これからもっと大事になってくるのは、テクノロジーそのものより、人間の哲学、欲求や本能がどこに向かうのか、ということのような気がします。

武田:身体と感覚の延長線上に、人間の夢や欲求をどう外在化していくか、という考えですね。

水口:はい、その考え方は変わりません。新しい体験を作り続けながら、ずっと検証し続けているような気がします。「感動的な体験って、どう作れるんだろう」「新しいテクノロジーがやってきたら、どんな感動体験を生み出せるんだろう」とか。

武田:以前、どこかの空港で子供たちが『セガラリー・チャンピオンシップ』で遊んでいるのに遭遇したことがある、と聞いたことがあります。 どこの空港だったかな……。

水口:覚えてます。イギリスのヒースロー空港ですね。

武田:やはり、自分が開発したゲームは時間が経ってもわかるのですか?

水口:わかりますよ、すぐに。遠くからちょっと音が聞えてきただけでも、すぐにわかります。開発しながら、何度も何度もプレイしますからね。隅々まで思い入れがあります。

一番忘れられない出来事は、スペインのショッピングモールで、5歳くらいの男の子とお父さん、おじいちゃんが3代で1台のゲームを遊んでいたこと。男の子がハンドルを握り、足が届かないからお父さんとおじいちゃんがアクセルとブレーキを担当していたんです。3人で一つのゲームを楽しんでいて。これを見たときにはさすがに涙が出ました。

武田:ゲームは言葉を超え、グローバルな体験をデザインできる。

水口:ゲームにはその力がありますね。言葉も文化も宗教も超えるし、世代も国も、いろんな壁を超えてつながれますからね。この世界は本当に自由なんです。純粋に自分たちが作りたいものを作って、自分たちが楽しんで、その体験で多くの人がつながって、感動して、喜んでくれたら、そりゃもう、言うことなしです。
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文=武田隆

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