そこで、まず取り組んだのは、人を成長させ、変えるための「学び」である。2週に一度、1時間半にわたり、選手、スタッフ、フロントが一堂に会する「N.ROOM」という学びの場をつくった。そこでは、サッカーの戦術やデータに基づくトレーニングの座学・ワークショップに加え、ビジネスのスキルまでを教える。一部のフロントやスタッフに教育機会を設けるクラブはあっても、それを現場の選手にまで落とし込む「N.ROOM」は極めて異例だ。
「学びの『型』というのがあって、これを浸透させることが重要でなんです。実は、学校で偏差値を上げるのも、仕事がうまくなるのも、サッカーがうまくなるのも、構造は一緒なんですよ」と中川は言う。
人が成長するには、まず自分ができないことを自覚し、どうすればできるかを考え、そして日々実践していくという過程をたどる。学校の場合、授業、テスト、復習と、何も考えなくても、成長できる仕組みが用意されている。ところが、社会に出ると途端にこの仕組みはなくなる。テストも復習もないため、意識しなければ、自分に何ができないかがわからない。そこでは、テストの0点、100点といった差ではなく、マイナスいくら、プラスいくらのような大きな差がつく。これはサッカークラブでも同じというわけだ。
もうひとつ、中川は前代未聞の試みを実施した。サッカー部門の総責任者であるGMに、弱冠24歳の林舞輝を抜擢したのだ。一般企業でいえば、新卒社員がいきなり部長職に就くようなものである。しかし、「何の迷いもありませんでした」と中川。
林は英国の大学、ポルトガルの大学院でサッカーのマネジメントや指導法などを学び、在学中に英フットボールリーグのチャールトンFC、ポルトガル1部リーグボアヴィスタFCの下部組織で指導を経験。専門は最先端のトレーニングメソッドである「戦術的ピリオダイゼーション」だ。中川は、経験や勘に頼るサッカーではなく、方法論に基づいた運営を狙ったのだ。
その林はトップチームだけでなく、奈良クラブの未来を担うアカデミーの若い選手たちを導くミッションも抱える。奈良クラブは10年でのJ1昇格が目標で、これはアカデミーにとって、J1で通用する選手を今後10年内で育てなければならないことを意味する。ところが、状況は深刻だった。士気は低く、予約したグラウンドを時間通りに使わなかったり、練習場のゴールが適正に配置されていなかったりしていたという。林がアカデミーのコーチ全員と面談した際には、「奈良クラブアカデミーとして何を目指すのか」という質問に対して、誰も明確に答えられなかった。
そこで、アカデミーが何のために存在し、何を目標とするのかじっくりと話し合いを重ね、ビジョンの共有から始めた。サッカーの実務的な内容の精査に入ったのはその後だ。全員が同じ目標に向かい始め、「プロクラブのアカデミーらしい雰囲気にようやくなってきました」と彼は言う。