そしてこの”電鉄なのに、自転車操業”の苦しい状況を救ったまずい棒には、おかしな誕生秘話がある─。
──まずい棒を、銚子電鉄と作ろうと思ったきっかけを教えてください。
もともと銚子電鉄との出会いが、銚子電鉄で「ありがとう駅」が誕生した時の新聞記事を、私の父が読んだことなんです。それで当時「ありがとう」という本を出した私に、父が「ありがとう駅に、本を置いてもらったらどうか」と提案してくれました。
そこで私が銚子電鉄に電話をし、本を置かせて貰えないかお願いすると、銚子電鉄の取締役の方が「一度会いましょう」と言ってくださり、その日のうちに会って意気投合したんです。
私には以前から「まずい棒というスナック菓子を作りたい」という、漠然とした思いがありました。銚子電鉄の竹本勝紀社長も、利用客の減少などが原因で「経営まずいな、まずいな」とずっと仰っていたので、まずい棒の商品化を打診し作ることになりました。
それで、まずい棒を作ろうとなった時、とにかく味を不味くしなければいけないと思って、不味い味をひたすら研究しました。
──例えばどういう味を?
めちゃくちゃ辛いのは不味いんじゃないかと思って試しました。でもただ口の中が痛くなって、辛いだけなので意外と食べられるんですよ。これは食べれてしまう、ダメだなと思って、牛のよだれとかも考えました。
──牛のよだれ...。
『商いは牛のよだれ』という、ことわざにちなんで「牛のよだれ」を混ぜたらどうか?と。
──よだれは本物の?
本物の。
──それ、まずいんじゃないですか...?
まずいですよね。
最終的に、無味無臭が不味いんじゃないかっていう結論に至ったんですが、無味無臭イコール「氷」だったんです。それでまたダメだってなって。発泡スチロールとかも味見してみましたが口がパサパサになって、食感もダメで飲み込みませんでした。
それから2年くらいずっと悩み続けて、「どうやったら不味いものを作れるんだろう」と研究を重ねました。煮詰まって去年の5月くらいに、私の父に相談したら、「不味いものを作っても、売れないだろう」って(笑)。
──それでまた最初に戻るんですね。
はい。宴会の罰ゲーム商品みたいな感覚で買うかもしれないけど、リピーターなんていないですよね。
ネーミングが“まずい”でも、味は美味しくて良いんじゃないか、「経営状況がまずい」という事と、かければ良いんじゃないかという発想をひらめきました。そしたら、竹本社長が「それいいですね!」ってなって、そこから一気にスイッチが入りました。
本家に対するリスペクト、姿勢は「絶対に諦めない」
昔、北海道の人気土産「白い恋人」を真似て、吉本興業が「面白い恋人」を販売したら訴訟が起きましたよね。そういった前例もあるので販売するのであれば、とてもうまいあの国民的駄菓子を手掛けているA社さんに、仁義を通さないとまずいという話になったわけです。
最初、私が先方に電話で説明してお叱りを受けたんですが、それでも竹本社長は「寺井さん、絶対諦めちゃダメですよ」って励まして下さいました。