顔認識技術について人々が認識すべき問題点

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米国では最近、サンフランシスコ市が顔認識技術の利用を禁じたのに続き、同国の反対側に位置するマサチューセッツ州サマービルでも同様の禁止措置が導入された。

この2都市が欧州よりも先にこうした禁止措置を導入したのは驚きだ。欧州ではプライバシーに対してより警戒的で慎重なアプローチが取られており、欧州連合(EU)はまだ、諮問機関からの勧告を受けた法律制定準備のごく初期段階にある。ただ、EUが最終的に、一般市民監視目的での顔認識アルゴリズムの使用を禁じることはほぼ間違いないだろう。だが英ロンドンではこうした技術の導入試験が進められており、顔を隠した人が警察によって身柄を拘束される事態にもなっている。

顔認識技術がより手軽になり、拡張性や精度も向上して適用範囲が拡大する一方で、倫理的なジレンマも生まれている。顔認識技術を使ってスマホやパソコンのロック設定を解除したり、航空機への搭乗や入出国審査を迅速に済ませたりするなど、生活の利便性向上につながるのは結構だが、当局が自分の行動を全て監視することを許すとなると、話は全く別だ。

香港で行われたデモの参加者は、顔認識技術を撹乱するため、マスクを着用したり、顔の異なる部位にシールを貼ったりした。さらに、自分の交通系ICカードを使わず切符を購入して地下鉄を利用したり、新しいSIMカードを買ったりした。こうしたデモ隊の戦略から示唆されるのは、当局が監視技術の最良の使い方を判断することを私たちが許せば、ディストピア的な世界につながるかもしれないという恐れだ。

アマゾン・ドット・コムのように、従業員からの反発にもかかわらず、自社開発の顔認識技術を世界各国の政府へ販売し続ける姿勢を崩さない企業もある。同時に、顔認識技術は避けて通れないものであり、今後は日常生活の一部として受け入れなければならないとする技術宿命論も聞かれる。

しかし、このようなあきらめは現実と相反する。歴史的に見て、当局による大衆の監視はこれまでうまくいったためしはなく、隠したい事がある人を除く全員を監視するシステムを作り出し、人々が努力の末に勝ち取ってきた自由を侵害することになる。「私には隠したいものは何もないから、恐れるべきことはない」などという考えは、控えめに言ってもナイーブだということを、歴史は教えてくれている。

顔認識技術の使用を規制する最善の方法は何だろうか? 顔認識技術の適用は例外的状況にのみとどめ、裁判所命令の取得を義務づけるべきだろうか? それとも単に、使用自体を禁じるべきか? あるいは、限定された状況でのみ使用できるよう規制すべきか? 現在刻々と進化し続ける問題に、私たちはどう対処したらよいのだろうか?

編集=遠藤宗生

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