日本の空港は外国人にフレンドリーな対応ができていない?

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そんな陽気なドライバーだったが、途中のポイントで、別の人を乗り込ませた際、たまたまそこにいた通りかかりの中年の婦人が「席、空いているなら私も乗せて」と言ったのだが、「ちゃんと申し込んだ人しか駄目なんだよ。そうでないと本当に必要な人を乗せられなくなるからね!」と、それまでずっと緩んでいた口元を一瞬できりっとさせ、かなり厳しくその婦人をたしなめた。

そんなドライバーの姿に、私は動かない足を見つめながら、こういう瞬間に立ち会えることが旅の醍醐味だなと思った。旅先で病気や怪我なんてしないほうがよいに決まっているけれども、これがなければこんな経験はできなかったのだ。

その後、搭乗ゲート手前でカートを降りると、ドライバーは、「グッド・ラック!」とウィンクして去って行った。そこでは別の係員が待っていて、彼が用意していた車椅子に乗りなおし、搭乗口まで連れて行ってくれたのだ。

対して帰国後、羽田空港で私を待っていてくれたのは、手動の車椅子を手にした航空会社の小柄な女性スタッフだった。彼女は、私の手荷物を車椅子にのせると、車椅子を一生懸命押して入国審査場まで連れて行ってくれた。

彼女はとても親切だったが、ロンドンで、電動の乗り物でスイスイひっぱっていってもらった経験をした後の私は、女性に手動で車椅子を押し続けてもらうことにちょっと申し訳ない気持ちを感じた。そんな彼女の仕事は、入国審査までで、次は、中部国際空港への乗り継ぎ便までの手配をしてくれる女性に車椅子ごとバトンタッチした。

そうして私は、入国から乗り継ぎ、そして最終地の中部国際空港に到着するまで、まるでリレーのバトンを渡されるように人力で運ばれて行ったのだ。

空港支援の電動化が進んでいたロンドンと、手動の日本。現在、日本の空港にも、電動カートや電動歩行器の貸し出しもあるということだが、その台数はまだ充分ではないように思われる。また、支援してもらう側と提供する側、それぞれの快適度はどうだろう。

2年前の私は、若い女性がふうふう言いながら車椅子を押し続けているのに、支援される側としての若干の申し訳なさを感じた。対してロンドンでは、支援される側にも、する側にもストレスがほとんど感じられなかった。空港支援のあり方ひとつとってみても、人と人とが贈り合うフレンドリーな「おもてなしの心」や、「相互扶助」への学ぶべき姿があるのではないだろうか。

日本人が相手を思いやる時のきめ細やかな配慮や行動は、海外からは常に賞賛されている点だけれど、提供する側もされる側も等しくハッピーな気持ちになれる等価交換的な関係性をつむぐことができたら、きっともっと旅は楽しくなる。

パラリンピックで日本を訪問してくれるアスリートが、ごくごく当たり前に日本のユニバーサルデザイン環境を享受できる、そんなハードとソフトがあと一年程で熟成することを願っているが、果たしてどうだろう。

地方への移動も心理的なバリアなくして楽々とできる、そんなハードとソフトのために、私たちは今、何をすべきか。その答えは、会議室の中だけではなく、世界中の現場にあると思うのだ。

連載 : Enjoy the GAP! -日本を世界に伝える旅
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文=古田菜穂子

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