外国暮らしで変化した価値観、子育て シアトル在住の浜中有美子氏に聞く

浜中有美子さん


ちょうど長男が産まれた直後で、シアトル時代からしばらく仕事をしていませんでしたが、知り合いから声をかけて頂いて、仕事を再開しました。

──どんなことをされていたんですか? 

ケンコーコムという会社で、医薬品や健康食品の越境EC(国を越えた電子商取引)を運営していました。2年目からは子会社の代表を務めました。

大企業の経験しかありませんでしたが、そこで「若くて小さい組織は気持ちいいし、結構性に合う」という発見をしました。お金周りの仕事に加えて、国境を越えた取引、食品や医薬品をめぐる法律や規制への対応、外国人の雇用に関する考え方など、新しい視点で考えることも多かった。シンガポールは女性の社会進出が進んでいたことも刺激になりました。

── その後、またシアトルに戻ったんですよね? どうしてですか? 

事業も一段落したところで退社し、次のステップを考え始めました。シアトルがとても気に入っていたので、また住みたいなと思っていたら、ちょうどシアトルで日系飲食業の子会社財務担当という募集があったので、「ぜひやってみたい」と思って仕事を決め、戻ってきました。

──シアトルというと、すぐお隣にあるポートランド(オレゴン州)のイメージが強いんですけど、流行りのライフスタイル誌「KINFOLK」とか。ああいう感じの生活なんですか? 

私たちが住んでいるのは郊外で、いい感じで田舎。自分が育った環境と似た場所に惹かれたのかもしれません。マイクロソフトやアマゾンなどのテクノロジー企業がたくさんあり、インド系や中国系のエンジニアが急激に増えていて、外国人にもオープンなところも好きですね。 

──人が流動的な土地は、外国人にとって住みやすいですよね。シンガポールもそうですけど、少し流動的すぎと感じたのですか?

シンガポールも好きだったんですけど、多分私の体が季節感とスペースの広さを求めていたんです。 

──私は文化を求めますね。文化がない場所に行くまで気づかなかったけど、一歩外に出ると当たり前のように文化がある風景が自分の体に染み付いてたんだなあって、シンガポールにいて改めて気づきました。

そう言っていましたよね。葉子さんは奈良出身でしたっけ。古いものへの原体験みたいのが呼び起こされたのかもしれませんね。知らない所に身を置くと、自分の中をガーっと揺り動かされて、自分のコアみたいなものが発見できる気がします。


シンガポール建国50周年記念日。地元の仲間と一緒に祝いました。

──有美子さんはお子さんが小学校に入ったあとに、シンガポールからシアトルに移られたのですが、アメリカは子育て環境としてはどうなんですか? 

治安の問題もあって子供の一人歩きなどはできず、そういう面では大変ですが、親子とも、あまり型にはめられないという意味では楽です。

アメリカの学校に溶け込む上で、シンガポールでの勉強は役に立ったみたいです。シンガポールの公立小学校はとても教育熱心だったので、息子は学習が1年くらい進んだ状態でアメリカに行ったんですよ。シンガポールの共通語でしたから英語はできたし、算数が得意という自信をすぐに持てた。また、本人がどれだけ意識していたかはわかりませんが、人と違うバックグラウンドを持っていることにニュートラルな態度を身につけていたようで、自分が転校生だとか、日本人が学校に数人しかいないと言ったことは気にしていない。見ていてとても羨ましいですね。 

次ページ > 子供にとって一番大きかったこと

文=クローデン葉子

ForbesBrandVoice

人気記事