今わからなくてもいつかわかる。師から教わるお茶と人生の妙味

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7月1日、アメリカのタレント、キム・カーダシアンが自身の矯正下着ブランドに命名した「KIMONO」を撤回した。先月25日の発表から波紋が広がり、ネットを中心に猛批判を受けていたが、とりあえず一件落着となった模様だ。

この間、ネット上では「日本文化の盗用だ」との抗議が噴出、「KIMONO」を商標登録に出願していることに対しても、「広く共有されている言葉を私的に占有するもの」との批判の声が大きかった。

そもそも体型を理想に近づける矯正下着と、体型を曖昧に隠す着物とは、美意識がまったく異なる。いくら「自分の考案した下着に素敵な名前を」と言っても無理があり過ぎるだろう。

一方で、KIMONOと言えば海外では着物風の室内ガウンのこと。着物、KIMONO、それぞれの輪郭には既にずれがある。

騒ぎに対しては、着物への関心の高低によって温度差はありそうだが、名称と文化は不可分のものだということを改めて示した例と言えるだろう。この機会に、着物が普通に着用されている世界を通し、その背後にある美意識やものの見方について再考してみるのも良いのではないだろうか。

というわけで今回取り上げるのは、茶道教室に通う一人の女性の人生を淡々と描き出した『日日是好日』(大森立嗣監督、2018)。森下典子のエッセイ「日日是好日─『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」の映画化で、樹木希林と黒木華の共演作としても話題を呼んだ。

「なぜって。とにかくね、こうするの」

典子(黒木華)は将来の進路模索中の大学生。母に勧められそれほど気乗りしないまま、従姉妹の美智子(多部未華子)と一緒に、近所の武田先生(樹木希林)のところにお茶を習いに行くことになる。

路地の奥の武田先生の住まいが美しい。古い木造家屋の、自然光の入るしんと落ち着いた和室。緑の溢れる小さな庭。一幅の掛け軸の脇に季節の花が控えめに活けられた、簡素な床の間。楽な感じにゆったりと着物を着こなした武田先生の佇まいには、一見して、着物が生活に馴染んだ人のゆとりが感じられる。

お茶に関してはまったく素人の典子と美智子。お菓子を頂いてからお茶、という順序さえ知らず、無邪気そのものだ。もちろん着物を着てお稽古に行くようになるのはずっと後のこと。

袱紗の折り方に始まって、二人は基本の動作を習い覚えていく。ぴんと張りつめた空気の中、武田先生の細かい指摘とダメ出しに、ぎこちない所作から挙動不審になる典子、それに思わず吹き出しそうになる美智子など、お稽古の場面はコミカルな風味を交えて描かれる。

茶道には決まり事が多い。その動作にはどういう意味があるのか、どんな理由でそうするのか、よくわからないままに次々出てくる謎のルール。思わず「なぜ?」と尋ねてしまう典子達に、武田先生は「なぜって。とにかくね、こうするの」としか答えない。

学校で教師が、「なぜ?」と聞く生徒に理由を教えず「とにかくこうするの」と返したら、問題になるかもしれない。何でもその場で疑問を明らかにし、理由や意味を把握して前に進むべきだ、という考え方は浸透している。

でも、それとは反対のことを武田先生は言うのだ。

茶碗に入れた抹茶を茶杓でならす。棗に蓋をする。柄杓を取って湯を茶碗に注ぐ。茶筅を取ってお茶を立てる……。

武田先生の、丁寧だがサラサラと流れるような無駄のない所作。茶筅を使う手の動きの優しさ。着物という衣服と茶道の所作の美しいマッチングに、改めて一繋がりの文化のかたちが浮かび上がってくる。
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文=大野 左紀子

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