セピア色の店内に、クラッシックなフレンチの味、パリで味わうリヨンの料理

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レギュラーメニューと合わせて、小さな黒板メニューもあり、その日のオススメ料理が書かれている。メインはこの黒板メニューから選ぶことが多く、最近は立て続けにリ・ダニョー(仔羊の胸腺)のムニエルを食べた。



プリッとした肉質と軽やかに揚げ焼きしたような衣のコントラストがたまらない。旬に応じてソースの具になる果物が変わる、小鴨の胸肉のひと皿も、艶やかなソースと皮の焼き目が美しく、そしておいしい。

デザートには、ぜひリヨン名物のプラリーヌ(カラメルコーティングしたアーモンド)のタルトを。喉が焼けるように甘かったり、歯にひっついてとても食べづらい思いをすることの多いタルトだが、この店ではそんな目に遭うことはない。ぎりぎりの甘さで留まるここのタルトは、先割れスプーンで食べるのがシェ・マルセルでのお決まりだ。



前オーナーは引継ぎの際、それまで壁に飾っていたものをすべてそのまま渡してくれたそうだ。ここ数年で賑やかになった印象の店内には、ピエールが少しずつ買い足した装飾品も加わっている。

テイストの異なる何枚もの絵は、到底このような配置にはできないと感じるランダムなかかり方で、その間に絵皿や、昔の電話、テレフォンカードが貼り付けられ、70年代のものだろうか、飲料会社のロゴがついたプラスチックの容れ物がところどころに並ぶ。

それらすべてを受け止めている花モチーフの壁紙は、魅力的に赤茶けている。1956年にオープンしたときにはクリーム色の壁だったそうで、いまの壁紙はおそらく1964年からだろうと聞いた。



それでもすでに55年。オリジナルに比べ、だいぶ深みを増している色は、時を経たことだけではなく、21世紀に入り、公共の場においての室内での全面禁煙が実施されるまでの間に吸い込んだ、タバコの煙にもよるものだろう。もうこの先、生まれることのない色みに時の移ろいを感じ、思いを馳せる客も少なくない。

シェ・マルセルとして生まれ変わる1956年以前、狂乱の時代、移民芸術家が多く暮らすモンパルナスでも、中心地であったヴァヴァン交差点から程近いこの場所は、通りに軒を連ねる有名ブラッスリーやカフェにご主人を送り届けた御者やドライバーたちの利用する食堂があったという。役所で飲食店としての記録を遡ると、最初に記された日付は、1919年だったらしい。人を迎え続けているこの場所は、今年、100周年を迎える。




連載:新・パリのビストロ手帖
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文・写真=川村明子

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