読売新聞→NHK→マカイラ。ある事件記者の転身


時は10年前に遡る。大学時代の島青年は友達がおらず、図書館でひたすら本や新聞、雑誌のバックナンバーを読んでいた。いずれは新聞記者から物書きになれたら、と思い入社を決めたという。「大好きな司馬遼太郎、山崎豊子、横山秀夫も元新聞記者。新聞記者になれば文章がうまくなると壮大な勘違いをしていたんです」。社会的な出来事を深く掘り下げて一冊の本を出せたら、などと夢みていた。

「1000万部死守。読売は紙でやっていく」。2010年、入社後の研修初日に渡邉恒雄主筆の訓示を最前列で受けたのを覚えている。

入社当時のノートを見せてくれた。表紙の裏側に、ジャーナリストの外岡秀俊氏による「ジャーナリストの条件 4つの資質」が書き写してあった。
1、取材力
2、筆力
3、眼力
4、バランス感覚



中面には読売新聞朝刊1面のコラム「編集手帳」の切り抜きが貼られていた。文章のリズムを学んでいたそうだ。

彼は初任地である香川県に新人記者として赴任し、駆けずり回っていた。当時、高知県に配属された同期2人が優秀と言われ、自身は出遅れていると感じていた。ある日支局に出社すると、高知の同期が書いた大きな記事がこれ見よがしに机上に置いてあった。「お前は何をやっているのだ」と言われているような気がした。

当時、裁判員裁判制度が始まったばかりだった。事件が発生してから、現場取材をし、必要とあれば遺族に取材をし、逮捕、起訴後、裁判を傍聴し、判決まで全て自分で担当できたことが大きかった。警察や検察、裁判所という関係当局の組織のあり方や意思決定の流れを知ることが重要だと知った。誰がどの情報を手にするのか、誰がキーパーソンかを見分け、正しい取材対象にアプローチすることが真実への近道だと悟った。

地道かつ的確な取材が次第に功を奏するようになる。ある日、香川に居ながら、高知県内の捜査情報を取ることができた。当局の意思決定ルートを熟知したからこその特ダネだった。

2012年、兵庫県尼崎市で連続変死事件が発覚。香川もその舞台の一つであり、県警の対応が問題になったことがあった。記者として県警の対応を糾弾しながらも、同時に県警内部で極秘で捜査が進められていた汚職事件も取材していた。結果、両方とも他社に抜きん出る結果となった。相手にとって不都合なことを書きながらも、ネタ元との信頼を保ちつつ、情報を取る。そんな交渉力やバランス感覚も身につけるようになった。

「取材者こそ見られている」。そう強く感じたのもその頃だった。3年間、電柱の陰で取材先を待ち続けたり、居酒屋で内緒話をしたりしてネタを追いかけていく中で、自分自身の言動の一貫性や信頼性も問われていることに気がついた。

取材に奔走する中、ある日自宅で起き上がれなくなり、救急車で病院に運ばれた。甲状腺の機能が低下していると言われ、入院した。取材先のシビアな情報を探る中で、自分自身の心身もすり減らしていたことに気がついた。「もう事件はこりごりだ」。他メディアへの転職活動を始めた。


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文=林亜季 写真=柴崎まどか

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