障害者の死亡率は2倍。「災害弱者」の命を救う方法を、石巻で探る

みやぎセルプ協働受注センターの大久清美さん

「報道も支援も、ぜんぶ健常者がベースなんです」

みやぎセルプ協働受注センターの大久清美さんは言葉を漏らした。震災から8年、石巻の町はかつての穏やかさを取り戻しつつある。駅前の通りには飲食店やブティックが立ち並び、2019年3月には災害公営住宅の全整備が完了した。

目新しい建物が増え、前向きな話題が伝わる一方で、石巻の人の思いは複雑だ。そのひとつに挙げられるのが、年々記憶が薄れていく風化問題だ。毎年3月になれば、多くのメディアが東北に訪れ、被災地のいまが私たちに伝わる一方、日常的にその声が届く機会は減ってきた。また、新たに転入してきた学生や社会人など、県内には東北での被災を経験していない人も増え、住民同士で震災について話す機会も当時に比べて少なくなっているという。


南浜地区は復興祈念公園の工事が進む

「8年経って、私たちの経験は活かされているだろうか」。石巻の人たちの想いは揺れていた。

震災は、私たちにさまざまな課題と教訓を残す。そのひとつに挙げられるのは、障害者などの「災害弱者」と呼ばれる人たちの高い死亡率だ。健常者の被災体験は数多く報じられるが、とりわけ「災害弱者」と呼ばれる人の声は、なかなか表に出てこない。

内閣府「平成24年度版 障害者白書」によれば、宮城県内で総人口に占める被災死亡率は1.03%であったのに対し、障害者の死亡率は2.06%と2倍である。特に被害の大きかった沿岸部の障害者死亡率は、石巻市5.2%、南三陸町13.3%、女川町15.6%とその割合はますます高くなる。

障害の種別で見ると、肢体や視覚、聴覚障害などの身体障害を持つ犠牲者が約9割ともっとも多く、次いで知的障害、精神障害となっている。あの日、警報のサイレンが聞こえなかった人は、津波が来る方向が見えなかった人は──。自力で避難が困難な人がサポートを受けられず孤立し、命が置き去りになるようなことはなかっただろうか。
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文・写真=丸山裕理

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