他の記者と違うことをする。高松から宝塚に赴任し焦っていた私は、この考え方でなんとか自分なりの表現を見つけることができた。宝塚音楽学校の学生たちへの取材で当時のデスクに勧められ、今では見なくなった「ブロギー」という動画撮影機材を手にしたのだ。
「動画かぁ!」目が覚めたような思いだった。確かに、動画の方がみずみずしい演技や表情が伝わる。新聞記者は原稿と写真だけで表現しないといけない、と誰が言ったのだろう。動画はデジタル版に掲載された。
実は、動画との最初の出会いは大学時代にあった。情報、メディア、コミュニケーション、ジャーナリズムについて学びたい学生や社会人のための教育を主に夜間、2年間にわたっておこなうユニークな教育組織である「大学院情報学環教育部」に所属していた。そこでご一緒したテレビプロデューサー経験の長い方より、映像撮影や動画編集のイロハを教わっていたのが活きた。
それから、取材現場ではまず動画を撮影し、その後写真撮影、それからペンの取材をするというスタイルが自分の中で定着した。宝塚歌劇の話題から街ダネ、事件・事故まで、年間50本の動画をデジタル版に出稿した。きっと地方支局だからできる環境だったのかもしれない。
動画への挑戦を機に、変化する新聞メディアの未来を考えたいと志すようになり、2013年の夏、新規事業の開発や投資、R&Dなどを担う「朝日新聞社メディアラボ」発足時の社内公募に応募。今ではそのような組織を設けるメディアは少なくないが、当時は珍しく、記者修行の道半ばでビジネスサイドに移ることに疑問を呈する人もいた。いくつかの新規事業に携わった後、経済部に異動。その後、新聞社を飛び出し、ハフポスト日本版に移籍した。昨夏より「Forbes JAPAN」に移り、Webの成長を担っている。
他の同世代の記者とは全く違うキャリアを歩みながらも、常にメディアの未来を考えている。どこかでブレイクスルーを起こし、いつか恩返しをしたい、そうも思っている。アプローチはいつも「人と違うことをやる」。その原点は地方時代のデスクの教えにある。
東京大学新聞研究所・社会情報研究所・大学院情報学環教育部同窓会報 第15号より