フォーブス ジャパン ウェブ編集部編集長

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「私の地方時代」というテーマで母校の同窓会報に執筆する機会があった。

そもそも全国各地に支社や支局があるような大企業に入社し、「地方時代」という貴重な経験を積ませてもらえる若手社員は今、どれくらいいるのだろう。今更ながら語れる「地方時代」があることを有難く思い書いた。

自分の経験に限ると、今、大きな財産になっているのは、東京を離れて記者修行をさせてもらった若手記者時代に学んだことだ。以下、同窓会報の原稿を若干加筆修正の上転載する。


新聞という産業はもうそんなに長くもたないのではないか、という危機感が常にあった。ニュースはネットで、無料で読む時代。ブログやSNSが普及し、「1億総書き手時代」となった。社内には2000人を超える記者がいる。私はどんなバリューを出していけるのか。自分ならではの表現方法やテーマを、早く探さねば──。

2012年、新聞記者4年目で阪神支局員兼宝塚支局長として宝塚市に赴任した私にはなんとも言えない焦りがあった。

2009年、新卒で朝日新聞社に入社した。初任地は香川県高松市。1年目は例に漏れず警察・司法担当で、首から携帯電話をぶら下げ、事件・事故・火事の発生を意味するパトカーや消防車のサイレンを気にしながら街ダネを探す毎日だった。

「他社と同じことをやってどうするんや」。記者は各社同じネタ、同じ取材先を追いかけながら、ニュースの速さや深さで勝負するものだと思い込んでいた。しかし、他社の記者と同じ取材先を回り、同じことを聞いているのではニュースは生まれないのだ。高松総局勤務の3年間は大きな事件がほとんどなく、基本的に平穏だったが、ニュースとは何か、ということを教わった当時のデスクには深く感謝している。

成人式で暴れた新成人たちに警察署が珍しく「反省文」を書かせたことをデスクに雑談で話すと、「それはニュースや」と一言。話題ものとして香川県版に大きく載った。四国八十八ヶ所の霊場を、ゴミを拾いながら歩くお遍路さんに取材し記事にしたら、「君もやってみる気はあるか」。新米記者の体当たり「ゴミ拾い遍路」のルポは、四国版の新年企画になった。

「今日1日、島に行ってみるか」。瀬戸内の島々を舞台に初開催された「瀬戸内国際芸術祭」が話題だった。「その代わり、『青鉛筆』(大阪本社社会面のコラム)以上のネタをよろしく」。今やアートの島として有名になった直島を歩き回り、捨てられていた空き缶に装飾を施して展示している島民を取材、エコとアートを両立する事例として、なんとか「青鉛筆」に仕立てることができた。

文=林亜季

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