信用経済が行き過ぎれば、全てのデータが記録されるようになって、仲のいい人には100円で売って、嫌いな人には1000円で売る、ということが起きるかもしれません。人間関係の評価さえも数値化されるというのは、怖くなりますね。SNSを通じて外の広い世界につながればいいですが、逆に閉じられた世界にこもってしまうと、その中で、たとえば本来素直な気持ちの表れとしての「いいね」も、そこに評価の視点が生まれることで数を集めることが自己目的化し、脅迫観念となってしまう。そんなところにも、信用経済の考え方の危険性につながる要素が潜んでいると思います。
わかりやすい例だと、大学受験です。試験一発勝負なら落ちても運が悪かったで済みますが、全てが記録されたビッグデータの世界で、人間性も含めて総合的に評価されて落ちたとなると、救いがないですよね。人間性を考慮する考え方も理解できますが、それが過剰に進むとどこか怖い気がします。
大阪大学経済学部准教授の安田洋祐
安田:私は、経済価値や人のスキルなどを数値化する物差しの多様化が特に重要だと思います。価値尺度が多様化して、物差しに応じた複数の経済圏が生まれれば、選択肢も増えます。経済圏が一つしかないと選択の自由や余地がないので、そこからこぼれると即、社会的弱者になってしまう。
しかし、複数の頼れる経済圏が発展してくれば、どこにも生きる意義や価値を見出せない、という真の弱者は減ってくるでしょう。市場経済からこぼれても、ネットに救われる人はいますよね。いまは市場一辺倒の危うさを感じている人が少なくありません。
丸山:これは程度やバランスの問題で、自由にそれぞれが試してみるのも大事だと思いますが、不安は残ります。テクノロジーによる数値化の力は強大で、最終的にはお金のような一つの物差しに収斂してしまうかもしれません。
さらにGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)のような巨大テック企業のデータ独占問題も起きています。民主主義に関わる問題でもあり、経済だけでなく大きな視野で見る必要があります。
──次の時代の資本主義をよくするために、何が必要でしょうか。
安田:具体的な解決策は見つからないのですが、「欲望の対象を変える」仕組みが大きなゲーム・チェンジャーになりうると思います。欲望に突き動かされる我々自身は変わらなくても、我々が何に欲望を持つのかを変えることで現実が大きく変わる可能性がある。
いまは基本的に、何かをもらったり、受け取ったりした「TAKE」が指標になっていて、自分がどれだけお金を稼いだか、他者から「いいね」を集めたか、などが評価されます。しかし、例えばSNSでどれぐらい「いいね」をつけたかとか、シェアした記事が読まれたか、といった貢献度も見える化してはどうでしょうか。何かを提供する、与えるという「GIVE」を指標にするというアイデアです。