小林は、大学卒業後に大手外資系金融、スタートアップ、公的機関、国連を経て、逆境のなか学校を設立するという数奇なキャリアを歩んだ。キャリアの暗黒期を経て培った「意思のある楽観力」とは。
──4回仕事を変えた小林さんですが、ご自身のキャリアのコアは何だと思いますか。わくわくする瞬間はコアにつながっていますか。
私のキャリアのコアになっているのは、「わくわく」ではなくて「深い憤り」なんです。
私は高校一年生で都内の高校を中退し、奨学金をもらってユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)のカナダの国際高校に行きました。その夏休みに同級生に誘われてメキシコに行き、スラムで見た子どもたちの姿に衝撃を受けました。
ここに生まれただけで、貧困に甘んじ教育を受けられない。そんなことが許されるのか。スラムで感じた17歳の時の強い憤りが私の原点です。東京郊外のニュータウンで育ち、自分が恵まれていると思ったこともなかったのですが、日本に生まれただけで自分がどんなに恵まれていたのか、と痛感しました。
──その原点がきっかけで、30歳で国連児童基金(UNICEF)に入り、フィリピン駐在として貧しい子どもたちの教育支援をされていました。
フィリピンに行った時は、「教育を通じて不条理な世の中を変えられる」という幻想を抱いていたんですね。実際に、ユニセフの支援で人生が変わった子もたくさん見てきました。しかしマクロレベルで見てみると、何百年と続く格差や汚職はそのままで、何万人もの貧困層の子どもたちが生まれる構造は変わっていない。ミクロレベルで改善されても焼け石に水で、不条理な仕組みは解決しない。憤りとやるせなさを感じました。
そんな時に会ったのが投資家で学校の発起人代表である谷家衛さんです。「これからの社会に変革を起こせるような人を育てる」というビジョンに共感しました。
UWC ISAK JAPANのキャンパス
──学校設立までには、世界金融危機で大口の寄付金が集まらなくなり、開校が遅れるなど大きな困難がありました。
困難を乗り越えられたのは、楽観力のおかげだと思います。これは生まれつきの性格という意味ではなく、人生を通じて培ってきた能力です。小さな成功体験と失敗体験の両方を積み重ねて、例えこの世の終わりだと思うような失敗をしても、後から挽回できると楽観的に考えられるようになりました。
いま思うと、一番苦労した時代が最大の成長に繋がっていました。私には「暗黒期」が何回かあったので、苦労すればするほど成長のチャンスだと思えます。どんな難局が来ても大丈夫だと信じられる。大丈夫じゃなくても、死にはしないし結果として成長できると思える。意思を持った楽観力です。意思を持って打開するしかないと経験を通じて学んできました。