人脈、経験、英語力、全部ゼロ。シンガポールに単身乗り込んだ上司と、東京に残った私で試行錯誤で仲間を増やし、結果を出すまでの2年。ベンチャー企業による海外展開の「リアル」を伝えていきます。
「名刺代わり」の事例がもたらす効果
私が東京でシンガポールの拠点開設の準備でバタバタしている間、シンガポールに赴任した上司の外木直樹はビジネスの手がかりをどう作ったのか。今回はそこに焦点を当てたいと思います。
アタックする方向は、当初からほぼ固まっていました。政府、大学、現地の有名な企業です。
なぜ大きな組織とのつながりをまず求めたのか。それは「名刺代わり」になる事例を作りたいからでした。この方法は、外木が2013年にABEJAに飛び込んだ中で得た教訓がもとになっています。
当時25歳だった外木は、社長の岡田陽介と2人、企業に電話をかけまくり経営者への面会を申し込んだといいます。当時は機械学習を知っている人もほとんどおらず、若者だと悟られた途端切られるので、わざと野太い声で中年男性のふりをしたそうです。
経営者が会ってくれてもその後は音沙汰なしが当たり前。「スタートアップに対する大手企業の対応で、企業の間に上下関係が存在していることを痛感した」といいます。
創業3年目。オフィスで懇親会を開いたとき、仲間で意気込みを書いた横断幕を持って。右端が外木=2015年3月ごろ
当時、ほとんど知られていないディープラーニングの技術をビジネスに使ってもらうのは、企業のトップ層の判断が不可欠でした。社員数人のスタートアップが、トップ層に技術の導入を決断してもらうには、製品の質を説いても効き目はありません。新技術のインパクトで社会貢献したいというビジョンに共感してもらい、未知のプロジェクトに取り組む意欲につなげる方がかえって現実的でした。
そうやって評価してくれた組織と仕事をした、という事例が、次の導入につながる「名刺」になったのです。
そのうち、カメラ画像利活用サブワーキンググループへの参画など、岡田が経済産業省と一緒にルール作りに取り組んだ経験が「政策提言に貢献できるレベルの会社」と信頼されるきっかけになり、このあたりから、相手にしてくれる企業が増えてきました。
三越伊勢丹、ダイキンといった企業がサービスを導入したことも事業が広がるきっかけになりました。「信用力のなかった自分たちには顧客が自社のプレスリリースで製品に少しだけ触れてくれるだけで大きかった」と外木は振り返ります。
がむしゃらながら目立つことで徐々に大きな会社が付き合ってくれる──国内でのビジネスで培った勘所を、シンガポールでも試みようとしたのでした。