「コンテンツビジネスは市場規模が小さい」
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの小林。海外に出て気づいたことがある。「日本の威光はもう残っていない。日本はこれからどんどん経済的に苦しくなっていく」。
リーマン・ショックからあらゆる面で停滞しており、技術力も中国や韓国から、とうの昔に追い越された。一部の評論家は「日本は技術力で負けるはずがない。発想力で日本を鍛えていきましょう」と声高に叫ぶが、それは根本から間違っている。技術力、教育、学力などあらゆる面で完全に負けている──これが小林が海外で感じ、そして考えたことだ。
これまでは「ものづくり」で食べてきた日本。しかし、限界が見えつつある。これからどうすべきかと考えた時に、日本にしかない良いものがあるはずだ、それを売っていこうという発想になった。オタク文化や地方の物産展がまさにそう。つまり、ものづくりからコンテンツへと舵を切ろうとしているわけだ。しかし、コンテンツビジネスについては、ものづくりと比較して市場規模が小さ過ぎる。いくらものづくりが厳しいからといって、コンテンツビジネスにはその穴を埋めるだけのマーケットがない。
「閉塞感は幻想に過ぎない」
もう一つ、小林が海外で気になったことがある。海外からの日本に対するイメージだ。普通では思いつかない発想力。それも世界が感心するような実用的なものではなく、普通では思いつかない発想力で「笑わせてくれる」。海外に足を運ぶうち、これがある意味で日本の主たるイメージだと知った。海外が本当にクールだと感じている日本は、寿司デザインの靴下など、「斜め上の発想」「斜め上のコンテンツ」なのだ。そして、自身もそういう見方をされていることに気づいた。
セーラー服姿の時は渋谷の街を歩くことが多い
もちろん、「斜め上のコンテンツ」は、拡散力は大きい。しかし、マネタイズが難しい。まさに小林がそうだ。キャラクターとして商品化しないかと持ちかけられるが、たいてい失敗する。コンテンツビジネスは、「金儲け」の意図が見えると、途端に消費者にそっぽを向かれる。
日本に蔓延する閉塞感。そして望みを託すコンテンツビジネスのマネタイズの難しさ。これらを打破する可能性のあるヒントとして、小林はある企画方法を提案する。想像の限界を遥かに上回る、何かいいことが起きるかもしれない。こんな期待を持って企画する、というものだ。