幸せは「なる」ものではなく「感じる」もの

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人生の目的は人によって違う。やりたいことをやる、夢を叶える、お金を稼ぐ、出世する、社会に貢献する、世界を変える、などその大きさも抽象度も人によって違うし、「特にない」という場合もある。私も目的などなくただ生きている。

しかし、ほとんどすべての人に共通することは、「幸せになりたい」ということだろう。もちろん幸せの定義は人によって違うが、「幸せになりたくない」という人はいないだろう。今回のコラムでは、この全人類に共通する「幸せ」というテーマについて書きたい。

先に私の結論を述べる。

幸せというものは、出世の階段を上り詰めて社長になるとか、血の滲むような練習をしてプロ野球選手になるというように、何かを頑張って達成した結果「なる」ものではない。

多くの人は、より社会的地位や経済的地位を上へ上へと登っていった先に「幸せ」があると考えているのではないだろうか。想像してみて欲しい。プレッシャーの多い管理職に昇進したり、嫌な上司と高級レストランに行くより、仕事の後によく冷えたビールを自宅のお気に入りのソファーで飲むほうが、「あ〜、幸せだな〜」と感じるのではないだろうか。

幸せは「なる」ものではなく「感じる」ものだ。幸せになりたければ、幸せを感じられるようになればいい。より大きな幸せを得たいのであれば、自分自身が幸せに感じる瞬間をできるだけ多く持てばいい。そのためには2つの鍵がある。

自分が「幸せを感じる感度」と「幸せを感じる瞬間」である。

幸せはこの掛け算で大きくなる。そして、あくまで「自分が」である。「感じる」のは自分なのだから、他人と比較する必要はない。多すぎる情報と、同質の人々と暮らす社会の中では、どうしても他人と比べてしまう。しかし、自分以外に誰もいない静かな自然の中に身を置いてみて(置いてみたと想像して)、自分はどんな瞬間に幸せを感じるかを考えてみて欲しい。例えば、私の場合はこのような瞬間である。

子どもたちが仲良く(喧嘩せずに)広場を駆け回っているのを見ている瞬間。お気に入りの森の散歩道を、妻と他愛もない会話をしながら歩いている瞬間。1500円のワインを3日に1本、家族が寝静まった後に一人でゆっくり飲む瞬間。



どれも一つ一つは小さなものだが、これらの「幸せを感じる瞬間」をできるだけ多く、できれば日常的に得ることができれば、私は幸せであると言える。
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文=角川素久

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