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ウクライナ人とお話ししていた時、彼らは自国を「発展途上国なんだよ」と話していました。私にとってのウクライナは、ロシア発祥の地で、キエフの大門という素晴らしい曲があるような歴史のある国。まさか発展途上国だとは思っておらず、「私の知っている“当たり前”と違う!」と、衝撃を受けました。他の様々な人と話をしていると、他にも「私の当たり前」と違う当たり前が沢山ありました。

フェアトレードを初めて知ったのもその頃です。日本のような世界から見ると、世界の中で弱い立場の人たちの当たり前を知りませんでした。自分の知っている世界をもっと広げたい、「世界の当たり前」を変えたいと強く思うようになったのは18歳、大学進学直前ころでした。

音楽は好きだけど、音大に行っても世界の当たり前を変えることはできない。世界の仕組み、人間の仕組みをもっと知りたい。そんな思いが強くなり、音大進学を入学直前で辞めたんです。

当たり前を変えるのは、熱量だ

──大学進学後に起業を?

どうやって「当たり前」をつくるかを考えた時、当時の私は「会社を作ればできるかも」と思いつきます。けれどお金も経験も信頼もなかったので、どうするか考えました。

そうして始めたのが、社会人向けのあるスクールビジネスになります。前金でできて、顧客から「ありがとう」と言われるビジネスモデルはうまくハマり、受講者も増え、受講生の成績も上がりました。しかし続きませんでした。事業として辛いことがおきたからです。

細かくは言えませんが、経験の無さとビジネスモデルの甘さから、次々に出てくる課題に対する打ち手が分からなかったからだと思っています。経営者として起こりうる事象に対して予め対策を練っておくべきですが、アウトオブコントロールの事象に振り回されていました。このままでは顧客、関係者、仲間にも迷惑をかけると感じて、事業をゆずり私は身を引きました。決して美談にはできない、今思い出しても反省しかない悔しすぎる過去です。

その後は初心に戻り、「“世界の当たり前”を変えるビジネスをしたい」と考え、ググって出てこないリアルの世界を見たいと思い、バックパッカーとして一人世界を回ります。いろいろな国々の現状を観てきて、ムハマド・ユヌス氏の取り組みに改めて感銘を受けたんです。帰国後、どうしてもユヌスラボの日本ブランチを設立したいと思い、ユヌス氏が登壇するイベントに参加し、控室へ行きお話をさせていただきました。

──イベント関係者にお知り合いがいたんですか?

いえ、全く。どうしても会いたかったので、関係者控室の入り口付近で全力の笑顔で「お話しさせてください」と話したら、お時間をとってくださいました。

全員がこれを真似すべきとは言えません。その時その瞬間はすごく恥ずかしいし人の目も気になるけど、行かなかったら絶対後悔すると分かっていた。だから動いてしまいました。そんなことの連続です。

取材・文=石原龍太郎 イラスト=Willa Gebbie

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