放送作家・脚本家、「くまモン」の生みの親。


ローカルフィッシュ「オパ」を酒粕と味噌につけて焼いたり、同じくローカルフィッシュで王族が昔好んで食べていたという「モイ」を塩麹に2週間寝かせたり。ガリの代わりはなんと刻んだヤシの新芽(ハーツ・オブ・パーム)。これまで地元住民が食べなかった魚やおいしいと思っていなかった魚を、日本の寿司の技術によっておいしくする。それによって海洋資源を増やし、日本の魚の高騰も防ぐ──それはなんと志の高い試みなのだろうか。

中澤さんは男気のある人で、自分の弟子をどんどん独立させてきた。人気の銀座「鮨 あらい」の新井祐一さんも、弱冠33歳で独立している。気前よく独立させると、どういうことが起きるか。独立した彼らが店を開く町の、寿司のレベルが上がっていくのだ。

おそらくワイキキもあと10年ほど経てば、中澤さんの影響でクオリティの高い寿司店が増えるだろう。60歳を過ぎてなお、その地に自分の足跡を残す。いくつになっても挑戦する精神というのは、本当にカッコいいと思う。

ハワイで挑戦してみたこと

そんな中澤さんの挑戦と同列に語るのは恥ずかしいのですが、僕もハワイで挑戦してきました。54歳にしてサーフィンデビューです!(笑)

2014年、50歳になった年、僕はこれからの人生を豊かにするために「人生のハーフタイムを」と考え、1カ月の休暇を取った。何をするかは事前にいろいろ考えた。結局は、日本と海外の行ってみたい都市と好きな都市を数カ所、それぞれ1〜3泊滞在する「旅」を決行したのだが、候補の中には「断食道場に通ってダイエット」「ゴルフを極める」に交じって、「ハワイでサーフィンの特訓」というのもあった。

今回は一緒に行った人がサーファーで、「ハワイは本当に波がいいから、初心者向けですよ。僕もしっかり教えますから」と言われ、チャレンジすることにしたのだ。

ところが実際は浜辺で1〜2分、ボードへの立ち方や頭の位置を教わっただけで、あっさりと沖まで連れて行かれた(笑)。「とりあえずパドリングをして、波が来たら立てばいいんです」と言われ、生まれて初めての挑戦で、いきなり立てた。もしかしたらまぐれだったのかなと思い、もう一度トライしたら、また普通に立てた。

中学生のときにずっとスケボーをやっていたから、もともとのバランス感覚があったのかもしれない。でも、これまでできなかったことをこの歳になって克服したときの喜びというのは、非常に大きい。

人は歳を重ねるにつれ、挑戦から遠ざかる。それが人の成長を止める。僕はこれからも新しいことにチャレンジしつづけたい。次は陶芸をやってみようか? そんなことも思ったハワイの旅でした。


小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都造形芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。エッセイ、作詞などの執筆活動や、熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わっている。

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