富士フイルムの新規事業戦略を支えた男 戸田雄三の信念

かつて“巨人”と呼ばれた米イーストマン・コダックはデジタル化の波にのまれ、経営破綻。一方、富士フイルムは新分野を開拓して生き残った。その立役者は何を考え、どのような行動に出たのか。

「僕はホラは吹くけど、嘘はつかない」

かつて、部下たちを前に、毅然と、そう言い放った男がいた。現在、富士フイルムホールディングス取締役の戸田雄三だ。

1989年、成長を続けていた同社の花形商品であるカラーフィルムの生産部門の課長に就任した戸田は職場に入るなり愕然とした。忙しさのあまり笑うこともない、意気消沈とした社員たちを目の前にしたからだ。花形の職場なのになぜみな暗い? 戸田は社員を奮い立たせるために力説した。

「皆さん、僕を信じてください。僕は富士フイルムの屋台骨を支えているいちばん重要なこの職場を明るく、勢いのあるものに変えたいんだ」

それでも、社員たちの白けた顔つきが変わることはなかった。そこで、戸田は、冒頭の一言で、とどめを刺したのである。「僕はホラは吹くけど、嘘はつかない」

すると、社員の中からすかさず突っ込みが入った。私にとってはホラも嘘も同じようなものですが、いったい、どこが違うんですか?」

戸田は応えた。「ホラは“明日の夢”を語ること、嘘は“昨日の過ち”をごまかすこと」

とっさに応えた回答だったが、以来、この言葉は、戸田にとって、自身の会社人生を切り開く原動力となった。そして後には、富士フイルムが進む道をも照らすこととなる。

富士フイルムは現在、現会長の古森重隆の“第二の創業”という大号令の下、いち早く多角化戦略に乗り出し、経営改革に成功した企業として知られている。同社がヘルスケア企業として捉えられる要因となった化粧品やサプリメント、医薬品、再生医療製品の開発を行うこの分野の陣頭に立ち、成功に導いたのが戸田だ。現在、医薬品事業やライフサイエンス事業を含めたヘルスケア事業の売り上げは約3,800億円(2013年度)。14年度第3四半期では全社売り上げの約2割を占める。目指すところは、18年度の1兆円達成。富士フイルムの経営の屋台骨となろうとしている。

全員反対するのは面白い

今は経営陣として辣腕を振るう戸田だが、実は、千葉大学で写真工学を専攻した理系の出だ。子どもの頃からの写真好きが高じて1973年、カラーフィルムの成長期に富士フイルムに入社、製造技術者として足柄工場(現・神奈川工場足柄サイト)に赴任し、フィルム用の安定した性質のコラーゲンを生み出すことに成功。93年からは、ヨーロッパ市場にローカライズしたフィルムを製造するため、オランダ工場に赴任した。

一方、00年頃から、デジタルカメラの普及で、同社のカラーフィルムの売り上げは激減。古森社長(当時)は時代の変遷の中、事業転換を図るべく、培ってきた技術力を生かすべくヘルスケア事業に注力することを決めた。オランダですでにバイオテクノロジーの研究をしていた戸田は04年に呼び戻され、陣頭指揮を執らされることになった。

ライフサイエンスのカバー領域は幅広い。戸田は事業を推進するに当たり、地図を描いた。「ヘルスケアという分野では、当社は長く画像診断を手がけてきた。しかし、それだけでは十分ではない。治療の領域まで手を広げようとするなら、M&Aをして製薬会社を巻き込む必要がある。そこで、着目したのが自社で開発を進められると考えた予防。“ 高度先進医療”ならぬ“ 高度先進予防”というまだない領域だった」

戸田は地図に、画像診断だけではなく、その先にある治療、さらには事前に病気を防ぐ予防を入れた。サプリメントや機能性化粧品を開発し、生活習慣病や老化を予防しようと考えたのだ。目指すところは、予防、診断、治療を行うトータルヘルスケア企業だった。そんな壮大な地図を“ホラ”や“ 大風呂敷”と捉える人もいたが、戸田はあくまで真剣だった。当時を振り返りながら、戸田は繰り返す。

「僕はホラは吹くけど、嘘はつかない」“ホラ”を実現するため、さらに描いたのは、短期、中期、長期と目標を3つに分けたロードマップだ。「事業にはバランスが重要。長期目標の事業だけに力を入れた場合、経営陣が変わった途端に続けられなくなることもある。そのため、まずは市場を知る目的から、医薬品に比べて開発にも時間がかからず、比較的短期間で目標達成が可能な化粧品に取り組もうと考えた」

化粧品は、実は、戸田が入社当初から手がけたいと思っていた分野。製造技術者時代から、化粧品業界の研究者が多い学会に参加しては、化粧品メーカーから畑違いな存在を訝しがられていたという。「写真フィルムは乳化や分散の技術が使われている。フィルム会社が、この乳化や分散技術を生かした化粧品を作ったらきっと面白いものができると、当時から確信していた」

数十年前に描いた“明日の夢”がようやく実現できると戸田は思った。しかし、周囲の反応は辛かった。人事異動できた営業部長に「新規事業には“ホラ吹き”のリーダーを支える“バカ1”や“バカ2”がいる。悪いけど、“バカ1”になってくれないか」と言うと「なれません」ときっぱりと断られた。

そんなことできるわけない、またホラを吹いている。反対の声が多い中、“ホラ”に賛同してくれたのが、かつて学会に一緒に参加した仲間や、自分たちの職場で力を発揮できず、くすぶっていた同僚たち

。「僕らはあたかも“ 七人の侍”のように、向かい風に立ち向かった。新規事業に本当に賛同してくれるのは社内でも2〜3%しかおらず、残りは無党派、無関心派。“どっちでもいい”と考える彼らは結局は反対派であり、僕らにとっては抵抗勢力と同じだった。彼らに“ 面白い”と思わせるために、小さくてもいいから成功例を作ろうと考えた」

そんな成功例となったのが、07年に発売された化粧品「アスタリフト」だ。「アスタリフト」は主成分が人肌と同じコラーゲンである写真フィルムの研究開発を通して培ってきた技術を生かして開発されたスキンケア商品だが、そのマーケティングに当たっては、“人と同じことをしないこと”という戸田の信念が生かされている。

例えば、商品に社名を入れるかが議論された際、外部のコンサルタントなど多くの専門家が反対したが、戸田は、逆に、そこに目をつけた。「全員が全員反対するのは面白い。だったら、絶対にやってやろうと思ったんです。富士フイルムが化粧品をやることがひとつの個性になると考えた。ほんの数割かもしれないが、従来の化粧品に物足りなさを感じている人たちがサポーターになってくれるという確信もあった」

社名を入れた効果はあった。独自の技術によるサイエンスに裏付けられた商品性の高さが消費者の信頼を得て、「アスタリフト」はエイジングケアのカテゴリーで業界トップ5に入る人気となったのだ。

現在、戸田は長期目標である再生医療の製品開発に力を入れている。再生医療とは、人工的に培養した細胞や組織を損傷した臓器や組織に再生させる技術である。再生医療の研究に取りかかったのは、オランダに赴任し、研究所を立ち上げた2年後の95年。それまでは牛の骨や豚の皮から作っていたフィルムの主要原材料の天然のコラーゲンを遺伝子工学技術で作る研究を始めたのがきっかけだ。その結果生み出された人工のコラーゲンが、富士フイルムの再生医療分野での基幹材料として期待されている。

例えば、再生医療に採用される心筋細胞を最適な部位に接着させるには、その細胞が動かないよう固定させる特異なアミノ酸構造体からなるコラーゲンが必要となるが、そんな足場となるコラーゲンを遺伝子工学技術を使ってデザインし、作製したのである。それは、フィルムの開発で培ってきたケミストリーの技術を進化させたものだった。

「当社がフィルム事業で長年培ってきた高度なサイエンス・技術は絶対に失ってはならない、別のものに進化させなくてはならない。そのひとつの具体例が再生医療。最終的には臓器作りにつながるような多面的で複雑な技術ですが、他社に先んじたコラーゲン研究で培ってきた技術をもってすれば、当社が同分野ではキープレイヤーになれると確信している」と戸田は言う。

富士フイルムは、再生医療のリーディングカンパニーを目指し、14年には、日本初の再生医療製品を実現したJ-TECを連結子会社化、事業領域の拡大を進めている。

(以下略、)

文=飯塚真紀子

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