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2019.06.27 16:00

「現代のシンデレラ」が起業家たちに語った、壮絶な生い立ちと成功への軌跡

ナタリア・ヴォディアノヴァ 写真=小田駿一

ナタリア・ヴォディアノヴァ 写真=小田駿一

人は彼女を「現代のシンデレラ」と呼ぶ。路上で果物を売りながら生計を立てていた少女が駆け上がった成功の階段。スーパーモデルで慈善家でもあるナタリア・ヴォディアノヴァが、世界一の起業家を決定する「EY World Entrepreneur Of The Year™」の基調講演に立った。世界各国のファイナリストたちの前で語られた、シンデレラストーリーと、彼女が思い描く未来の姿とは──?



シンプルな白色の上下スーツで登場した彼女は、ランウェイや、世界的ファッション誌のカバーを飾るときとは別人のようなナチュラルメイクで、まるで少女のようにも映った。ただそれでも、176センチのすらりとした体躯と、リラックスしつつも自信に満ち満ちとしたその様子は、モナコ・オペラ座「サル・ガルニエ」の舞台に映え、そこだけスポットライトが当たっているようにも見えた。

それもそうだろう。彼女は有名高級ブランドのオートクチュールや、ブランディング広告の顔として、数百万ドルの報酬を手にする世界的なトップスーパーモデルである。そんな彼女がなぜ、起業家の頂点を決める祭典「EY World Entrepreneur Of The Year™」のメインゲストとして招致されたのか。それは、彼女自身もまた、成功した起業家であるからだけではない。その壮絶なまでの彼女の生い立ちから、成功を掴むまでの軌跡、そして、社会へ向けるその視点・視線そのものが、起業家の持つそれと高い類似性を持つからであろう。

ナタリアの「原点」と、シンデレラストーリー

1982年、ロシアで生まれたナタリアが2歳弱の頃、父親が失踪したことから彼女の物語は大きく動き出した。「私は3姉妹の長女でした。当時、母と脳性麻痺の妹と、貧困地区で暮らしていました」

母親の再婚相手からの暴力に耐えながら、厳しい現実に立ち向かう彼女は、11歳から屋台で果物を売る母の手伝いを始め、14歳のときには学校に行くのをやめた。路上での果物売りに専念できるからである。

彼女は舞台上で振り返る。「このときの経験が、私の原点のすべてなんです。強く生きる母への尊敬と、この子どもの頃の実体験が、いまも私を突き動かしています」

15歳の彼女がいつもの通り、路上で果物を売っていると、目の前にフェアリーゴッドマザーが現れる。それが、モデルエージェンシーの人だった。当時、ロシア語しか話せなかった彼女に「3ヵ月で英語を話せるようになったら契約しよう」と約束し、彼女は見事、パリ行きのチケットを手にした。

その後、17歳でモデルエージェンシーと本格契約、すぐにグッチやカルバン・クラインなどのブランドとの専属契約を果たし、18歳には、13歳年上のイギリス有数の資産家の御曹司と電撃結婚、3児をもうけるというリアルシンデレラストーリーを紡いでいった。

リアルジャーニーのはじまり

貧困にあえぎ、路上で果物を売りながら生計を立てていた少女が、世界でもトップクラスのスーパーモデルとなり、ロシアへ凱旋を果たすなど、さぞかし誇らしかったことだろう。しかし、ナタリアはいう。

「いまでもよく覚えているのだけれど、6000ドルを持って故郷に帰ったとき、『このお金でアパートも車も買える。もうこれで十分』だと思ったんです。けれど、そんな風に思っていた矢先に、今度は50万ドルの契約話が舞い込んでくる。その後は、そんなことの繰り返しでした」



そのような生活の中で、彼女は「昔と今の生活の差は何なんだろう」「私は何のために働いているのか」、「私の人生の目標は何なんだろう」といった自身への問いと、説明のしようもない悶々とした思いや疑問に悩まされていたという。そして、目的が見えない中で、仕事を繰り返すことに拒絶反応のような感覚さえ湧き出てきてしまったと述べる。

「ただ、次々に舞い込んでくる仕事を断るわけにもいかず、当時の私はモデルの仕事を楽しんでいたとは言えませんでした」

それが、彼女の慈善活動への取り組みへ誘うことにもつながった。

「当時、私は自分探しの旅をしていたと思うんです。そんな中で、2004年、『ネイキッド・ハート財団』を設立しました。それが、私の本格的な旅の始まりとなったのです」

ネイキッド・ハート財団は、障がい者に対する偏見をなくし、すべての子どもたちが愛情豊かな家庭と、楽しく遊べる場所を持てるようにすることを目的としており、ロシアの治安の悪い地域に、彼女の妹のような障がいを持つ子たちをふくめ、子どもたちが安全に遊べる公園をつくる援助をしている。これまでロシア各地の90ヵ所以上に子どもたちのための場所を設置したほか、一般の家庭に支援を届けるための地域ネットワークも確立した。

自分自身が誰よりも弱者だった少女時代。だからこそ、弱者に対する支援をするのは、彼女にとって、とても自然なことだった。

世界で最も影響を与える「慈善事業家」に

そんな功績が評価され、2014年にはファッション誌「Glamour」のWomen of The Yearにも選出された。翌2015年には、ナタリアが共同設立者として小口慈善事業アプリ「Elbi」を開発・立ち上げに成功。現在はベータ版をテスト中である。

「あるとき、私のインスタグラム投稿に、わずか数分のうちに3万件の『いいね!』がついたことがありました。『いいね!』って毎日50億以上押されているっていいますよね。ならば、この『いいね!』をチャリティに有効活用できないかと考えたんです」

Elbiでは、掲載されている世界中の慈善活動に対し、『いいね!』の代わりに『LOVE』をクリックすると自動的に1ドルが寄付される仕組みだ。しかも、寄付をした側とされた側とでメッセージを交換したり、交流を図ったりすることができ、SNSの利点をフル活用している。

ナタリアはいう。「将来的には、誰もが気軽に寄付できるような環境づくりをしていきたい」

現在、2人目の夫である、フランスの大企業LVMH創設者の息子、アントワーヌ・アルノーと5人の子どもたちと暮らすナタリア。

路上で果物を売っていた貧しい少女が、世界トップのスーパーモデルになる。2人の王子様と出会い、子どもたちとの幸せな人生をも手に入れた。まさに彼女は、現代版シンデレラである。

ただ、現今のプリンセスはそこでハッピーエンドとはしない。自ら運命を切り開き、ランウェイの先に、今度は社会のため、世界のために自ら道を創出し始めている。

いつの世も、プリンセスは、その時代を生き抜く女性たちの理想であり、憧れであり、そして、何よりも彼女たちが目指すべきロールモデルである。

これからもナタリアは、私たちに「あなたの思いと行動次第で誰でもプリンセスになれる」とメッセージを送り続けてくれることだろう。

Promoted by EY Japan / 文=谷本有香 / 写真=小田駿一

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